青春時代を支えた音楽との関わり「替え歌」を歌ったら同級生が褒めてくれた

――シンガーソングライター、仮歌シンガーとして。現在はどのような活動をされているんでしょうか。

加藤はるか(以下、加藤) 裏方として仮歌シンガーを続けながら、自分が表に立つシンガーソングライターの活動に再び力を入れています。住んでいる宮城県の企業などに「テーマソングを作りませんか?」と提案していて、温泉施設や神社のテーマソングを担当しています。自宅の防音室で、レコーディングする毎日です。

――シンガーソングライターとして「再び」力を入れているとありましたが、以前は?

加藤 今は34歳なんですが、高校時代から23歳ぐらいまでは地元の仙台にある事務所に「育成アーティスト」枠で所属していたんです。シンガーソングライターとしてがむしゃらに曲を作って、ラジオでしゃべり、ライブも頻繁に出演していました。でも、泣かず飛ばずでしたし「暗黒時代」といっても、さしつかえないほどでした。その当時は病んで「なんで私、歌ってるんだろう」「何がしたいんだろう」と考えながらふさぎこみ、ステージに立つのが嫌になってしまって。一時は上京もして仙台に帰ってきたんですが、仮歌シンガーの経験も重ねて、ここ1〜2年ほどで「曲を作って歌って、自分を表現していきたい」という気持ちを取り戻せたので、再びシンガーソングライターとしての活動を再開しました。

――元々、幼い頃から音楽への情熱は強かったのでしょうか。

加藤 いえ、そんなことはなかったです。幼稚園から小学校高学年まではピアノを習っていたんですが、親にすすめられて通っていた程度でしたので、正直、楽しくなかったんですよ。でも、中学1年生でスピッツの『空も飛べるはず』を弾きたくてエレキギターを買ってからは、だんだん、楽しくなっていきました。歌の楽しさを知ったのは、中学3年生です。映画『タイヨウのうた』の主題歌だった、YUIさんの『Good-bye days』を弾き語りがしたくて、アコースティックギターを買いました。実家で親に「うるさい!」と怒られながらも一生懸命、Fコードを難なく弾くために毎日練習していました。

――人前で歌う機会もあったんでしょうか。

加藤 弾き語りではなかったんですが、一度、中学1年生のときに同級生の前で歌ったことはありました。野外活動でキャンプファイアーがあり、クラスごとで出し物を用意しなければならなかったんです。目立ちたがり屋でしたし、野外活動に向かうバスの車内でクラスメイトに「DREAMS COME TRUEの『晴れたらいいね』の替え歌を作ってきたから、歌うのでみんな覚えて!」と言って、マイクを持って歌ったら「うまいじゃん!」と褒めてくれたのは、印象に残っています。

――そして、高校時代には本格的な音楽活動をスタートされたんですね。

加藤 高校2年生で同級生とバンド「Reverse」を組み、ギター兼ヴォーカルをやっていたんです。音楽番組『ストリートファイターズ』のイベント「ストファイHジェネ祭り」のオーディションにも合格して、東北代表として参加しました。高校卒業と共にバンドは解散してしまったんですが、19歳で弾き語りの路上ライブをはじめて、インディーズの事務所からポツポツと声をかけてもらえるようになったんです。でも「やるならメジャーでしょ」と当時は思っていて、曲を作り、レコーディングしたものをCDに手焼きして、ライブハウスからのブッキングも受けながら、自主的に活動していました。

――曲を作りはじめるきっかけも、あったんでしょうか。

加藤 初めて作ったのはバンド時代で、高校2年生でした。JUDY AND MARYが好きなギター、Slipknotが好きなドラム、L’Arc~en~Cielが好きなベース、YUIさんが好きな私…と、メンバーの音楽の趣味がバラバラで、カバーするにしても選曲できないし「作るしかないよね」となったんです。ギターのメンバーが考えたコード進行に、私がメロディーと歌詞を付けたり。私がゼロから作って、セッションしながらみんなで編曲したりと、作り方は様々で。ロックにバラードに、アップテンポにと、様々なジャンルにチャレンジしましたが、作った曲を褒めてもらったときは興奮しました。