生まれたときからヒップホップやレゲエが流れている環境だった
――キャリアからお伺いしたいんですが、生まれたときから家や車内でヒップホップやR&B、レゲエが流れている環境だったそうですね。
week dudus 当たり前に流れてたし、おばあちゃんもレゲエ好きで。親は着信音もヒップホップで、それが音楽なんだなと。一切J-POPは通ってこなかったので、周りと音楽の話も合わなくて。
――両親の見た目はどんな感じだったんですか。
week dudus ちょいヤンキーみたいな。おかんは「昔は悪かった」って自分で言ってたっすね。格好は普通なんですけど、今もヤンキーっぽさはあります。
――特に好きだったのがN.W.Aだったとか。
week dudus 物心つく前から、ずっとN.W.Aが流れてたんで自然と好きになりました。さっき話した親の着信音もN.W.Aでしたね。中でもDr. Dreが作るトラックが耳にひっかかって、ソロ作も好きです。今でもトラックを選ぶときは、Dr. Dreをイメージしたりします。
――リリックを書き始めたのはいつ頃ですか。
week dudus 小5のときに、とりあえずリリック書いてみるかと。自分は文章を書くのが嫌いで、作文とかも全く書けなくて、読書感想文とかも全然やってこなかったんです。そういう自分がリリック書くってどんな感じなんやろうって未知だったので、そこから書き始めました。
――ちょっと自分を試すみたいな。
week dudus そうです。
――N.W.Aの日本語訳詞なんかは読んでいたんですか?
week dudus いや、全然。意味分からずに聴いてました。
――それで最初からリリックは書けたんですか?
week dudus いや、やっぱスラスラ出えへんなというので、衝撃を食らったっす。とりあえずスラスラ出るのは無理やっていうのを受け入れて、思っていることを書くようになってから、出るようになって。それまでがちょっと難しかったっす。
――その時点で日本語ラップも聴いていたんですか。
week dudus 親の影響でキングギドラなんかは聴いてました。キングギドラには韻の踏み方を、めっちゃ学んだっす。
――弟のREMY FOOLさんは、いつ頃からラップを始めたんですか?
REMY FOOL 小6のときにサイファーに出会って、お兄ちゃんと「行こう」ってなって。中1でラップをするようになったんですけど、僕は一旦やめて、独学でダンスを始めました。でも中2のときにトラップが流行っていて、「ヤバッ!」と思ってリリックを書き出しました。
――高校生になるとラップバトルにも出始めるんですよね。
week dudus いっときですけどハマってました。きっかけはサイファーの人らが、「イベントあるから来いや」って呼んでくれたのがバトルのイベントで、衝撃を受けたんです。すごいって感心したわけじゃなく、みんな雑魚だなって(笑)。「これなら自分でも行けるやろう」ってなって、そっからバトルに行ってたっす。
――どういうところが雑魚と感じたんですか。
week dudus たとえば情深いことを言うとか、いろいろバトルもあるじゃないすか。やっぱり一番はディスやと思うんですけど、そのディスが「用意してきたんか?」ぐらい的外れやった。どうせディスを言うなら、相手が一生ラップできんぐらいのディスを求めてたんで。
――とはいえ、いきなりディスって出てこないですよね。
week dudus それがポンポン出て。親が口悪くて、日常的に言う人やったんで、それの影響かなって。親のディスはすごいっす(笑)。
――楽曲制作を始めたのも、そのぐらい?
week dudus 楽曲は初めてリリックを書いたときからずっと作っていて、でも上手いこと形にはならなくて。
――形になりだしたのはいつ頃ですか?
week dudus 高1っすね。
――バトルは早々に飽きたそうですね。
week dudus 高2ぐらいで、もう全クリしたなって。そんな風に思い出したときに、「UMB(ULTIMATE MC BATTLE)」って大きい大会の兵庫予選に行って、これも楽勝やなと思ってたら、ベスト8で負けて。キレて、それでやめたっす。勝負を判断するのが、自分らみたいなプレーヤーやったんで、「あんなんクソくだらんな」って。それまではバトルにちょっとだけ軸が傾いてたんですけど、やめるってなった瞬間に、曲制作に全振りして。いろんな人に紹介してもらいながら、スタジオを転々として。それで今も行ってるところに辿り着いて、そこでずっと作ってました。