“余白”を持つことによって、解釈を広げるポテンシャルも獲得できる

――キャリアについてお伺いします。山崎さんは3歳から舞台演劇をやっていたそうですね。

山崎 演劇は大学卒業まで続けたので20年ぐらいやっていました。きっかけは母で、リトミックのような表現教育の一環でした。当時の僕はめちゃめちゃ暗くて、コミュニケーション力が著しく低かったらしいんです。友達と公園に行っても、みんなが遊んでいる中で、僕だけ一人で遊ぶみたいな。それで母がヤバいと思って、表現を通してコミュニケーションを学んでほしいという思いで入れてくれたのが、ナーサリーライムのように英語の手遊び歌の延長で英語劇をやる場でした。

――ご自身の意思で演劇に興味を持ったのはいつ頃ですか?

山崎 中学の終わりぐらいです。それまではずっと辞めたかったんですよ。「習い事は何やってるの?」って聞かれたときに、演劇って答えにくいというか。幼少期の男子の感覚だと、「ダサ!」って言われるじゃないですか(笑)。僕はサッカーもやっていたので、余計に恥ずかしかったんです。それに舞台の発表前は練習が続くから、週末も遊べない。ほかのことは自分の意志で選んで好きにやっていたんですが、どういうわけか演劇だけは母が辞めさせてくれなかったんです。ただ高校生になると、表現することが楽しくなって。今の道に進んだきっかけは間違いなくこの経験だと思います。

――お芝居や身体表現の道に進むという選択肢を考えたことはなかったんですか。

山崎 高校生の頃は、役者になろうと思った時期もあって、そういう道を調べたりもしました。でも、僕は全部作りたいなと思ったんですよね。役者は一つの役を突き詰めていきますが、僕は俯瞰して舞台全体を作りたかったんです。いろんな演劇を観に行く機会も多かったんですが、特に影響を受けたのが劇団四季の演出で。中でも『ライオンキング』を見たときは、驚きました。そのあたりから自分は表現の道に行こうと明確になっていきました。

――大学では社会学部で「写真表現」を専攻していたんですよね。高校時代から写真を撮るのがお好きだったんですか。

山崎 写真を始めたのは大学ですが、きっかけは高校時代です。当時、紀行文にハマっていて、辺見庸さん、沢木耕太郎さん、開高健さんなどの著書を読み漁っていたんです。自分も一人旅に行きたいと思っていたんですが、大学受験もあるので行けない。だから大学に合格してから、入学するまでの間に青春18きっぷを使って、東京から九州まで一人旅したんです。そのときにボックスシートで向かい合ったのが写真家の方で、すごく仲良くなって、どこの中古カメラ屋がいいかなどを教えてくれました。それで旅から帰って来て、教えてもらった中野のフジヤカメラ本店でカメラ一式を揃えて。大学時代はバックパッカーをやったり、写真を撮ったりに夢中でした。

――大学時代はアメリカ留学もしたそうですが、海外への思いは強かったんですか?

山崎 小さい頃からやっていた演劇は英語劇でしたし、その中で留学のプログラムもあってホームステイをした経験もあったので、海外は比較的身近だったんですよね。だから世界に向けて自分の表現を届けたいという気持ちは一貫して強いです。

――海外では写真ではなく映像を学んだそうですね。

山崎 写真は一枚での表現ももちろんですが、複数の写真でテーマを表現する、組写真もやるようになります。そんな中で、連続した写真を24枚並べると1秒間の映像になると知ったときに、写真の延長で映画が撮れるんだと。そう思ったら、映像もやりたくなったんです。当時は日本映画が大好きで、阪本順治監督や黒澤明監督の作品を好んで観ていました。でも社会で流行っていたのはハリウッド映画だったので、敵を知らないと、世界で戦える日本映画が作れないと思ってニューヨークフィルムアカデミーに留学したんです。

――どんな映像作品を作っていたんですか?

山崎 やたら海外っぽい作品を作ったら、あまり評価されなくて、先生に「お前のルーツはなんだ?自分の中身から出てくるものを表現しろ」みたいなことを、めちゃめちゃ言われたんです。それで“ロストバージン”をテーマに、アート的な手法でモノクロのショートフィルムを撮ったんです。牛乳を飲んでいる女の子がいて、足元には徐々に牛乳の水たまりができる。もう一方にはモノクロ映像の中では黒に見える、赤ワインを飲む男の子がいて、足元に赤ワインが垂れて滲んでいる。そして、その二つの水溜りが混じっていく。一度交わると、もう元の白には戻れないみたいなメタファーだったんですが、そのショートフィルムが学校内の賞を受賞したんです。僕としては、日本では色にいろんな思いを込める概念があるから、それを表現に使ったんですが、先生は、「善と悪」「白人と黒人」など、いろんな意味で拡大解釈をして評価してくれたんです。全然意図と違うんだよな、と思いながらも、それを説明する英語力がなかったので、「サンキューサンキュー」とか言っていたんですが(笑)。これが、自分の本当の中身に向き合い、それを吐露していかないと、表現で人の心を打つことはできないということを気づいたきっかけです。それが最初のほうにお話しした、表現の“軸”というものに繋がっていくんですよね。

――国によって解釈が変わることは、どの仕事にもあることですよね。

山崎 特にアートはそうですね。そういうことも含めて、“余白”を持つことによって、解釈を広げるポテンシャルが獲得できるというのはあると思います。