デザイナーは時を超える普遍的な力を手に入れないと生き残っていくことは難しい

――『余白思考 アートとデザインのプロがビジネスで大事にしている「ロジカル」を超える技術』は山崎さんにとって初の著書ですが、どのように作業を進めていったのでしょうか。

山崎晴太郎(以下、山崎) 聞き手の方がいて、壁打ちをさせてもらいながら作っていきました。執筆という意味でいうと、毎日少しずつではなく、何日間かに分けて、連休や週末などにまとめて行いました。普段から仕事のやり方は何パターンかに分かれるんですが、日常の経営業務や判断は5分から15分くらいのスパンで切っていて、どっしりとデザインやコンセプトなどを作るときは誰にも邪魔されたくないので、まとまった時間を取って考えることが多いですね。

――今回はビジネス書ですが、日頃から仕事のスタンスなどを整理することはあるのでしょうか。

山崎 あまりないですね。今回は編集の方々の力が本当に大きく、自分の頭が整理されていく感覚がありました。僕が最初に出す思考は抽象度が高いというか、アートやデザインといった非言語領域に生きているので、言葉にすると、どうしても曖昧さがあるんですよね。ついつい、それを曖昧なまま届けたいと思ってしまうんですが、そうすると抽象度が上がっていく。分かりやすく伝えるために、その曖昧さを削っていく作業は新鮮でした。

――先ほどアトリエの本棚を拝見させていただきましたが、多彩なジャンルの本が並んでいたのが印象的でした。紙媒体はお好きですか?

山崎 大好きです。漫画はKindleや電子書籍で読みますけど、活字の本は全部紙で読みます。ページをめくる行為自体が儀式的というか、知識を自分の中に取り込む儀式みたいな感覚があるので、完全に紙派です。

――どんな本を読むことが多いのでしょうか。

山崎 何かを自分の中に取り込みたい意識が強いので、生命科学、人文、哲学など、アカデミズムに通じる本が多いです。僕は書斎、洗面台、トイレなど、5か所ぐらいで読書をするのですが、それぞれ違う本を同時に読み進めていくんです。たとえばドライヤーをかけながら読むのは、直木賞、芥川賞、本屋大賞など今流行りの本で、隙間時間にちょこちょこ読んでいきます。みすず書房から出ているようなアカデミズムの本は、ちゃんとした場所でじっくり読むことが多いです。

――デザインがすごいなと思う本やグラフィックデザイナーを教えてください。

山崎 『Visionaire』(※ニューヨークのアート雑誌)は神がかっていました。『A Magazine』(※ベルギーのアート雑誌)や『V magazine』(※アメリカのファッション雑誌)も素晴らしいです。日本だと、『+81(PLUS EIGHTY ONE)』。グラフィックデザイナーだとイルマ・ブーム(※アムステルダムが拠点のグラフィックデザイナー)。僕も本のデザインをやってみたいんですが、なかなかご縁がないんですよね。日本だと祖父江慎さんのような、フェチズムに溢れた装丁も好きです。

――今回の本のテーマになっている“余白”という概念を明確に意識したのは30歳ぐらいだったそうですが、何かきっかけがあったのでしょうか。

山崎 二十代の頃は、いろんなお仕事に対して必死に答えていたというか、自分が作りたいものを作って作品にしていたんですが、その中で自分にはクリエイションの軸がないと思ったんです。いろんなジャンルを横断してやっているけど、「あなたのクリエイションの本質は何ですか?」と問われたときに見当たらない。それで改めて意識したのが“日本の文化と余白”でした。“余白”という概念はデザインやアートの制作の中では当たり前に使っていたんですが、“余白”って概念は海外になくてきちんと英訳しにくいんですよ。直訳すると「ブランクスペース」や「ネガティブスペース」で、“何もない場所”や“虚無”といった意味。でも日本人の感覚で言う“余白”は、その中に無限の宇宙がある。その“余白”が自分のクリエイションにとって大きな武器になると思ったんです。そのタイミングで、生け花をやり始めたり、水墨画を始めたり、日本の文化や感覚を自分の中で模索するようになりました。

――二十代の頃から仕事自体は順調だったかと思いますが、軸がないことが、仕事に影響を及ぼすことはなかったのでしょうか。

山崎 ある意味、デザイナーはタレント商売みたいなところもあるので、今っぽいデザインが作れるとか、化粧品だったら、かわいい系やキレイ系、スタイリッシュ系など、いろいろなことができるとか、軸がなくても幅さえあれば、若いうちは、仕事としての面が広がるんです。一方でデザイナーはプロボクサーみたいなところもあって、常に戦わなきゃいけない。次々と活きのいいデザイナーが出てくるので、そういう意味だと、あまりキャリアの積み上げが効かないんです。常に現在進行形のデザインの世界で比較される中で、徐々に現場を離れて管理職に回るというパターンもありますが、僕は作り続けていきたかったんですよね。そうなったときに時代を超える普遍的な力を手に入れないと生き残っていくことは難しいだろうなと思って、表現の軸を探し始めたんです。