SKE48のオーディションで秋元康先生が高く評価してくれた

――高柳さんは2009年3月29日に最終審査が行われたSKE48の二期生オーディションに合格して、キャリアをスタートさせます。オーディションを受けたきっかけを教えてください。

高柳明音(以下、高柳) 小さい頃からモーニング娘。さんが大好きだったんですが、自分がアイドルになれるとは思っていなくて。愛知県名古屋市出身なので、オーディションを受けに東京に行くことも簡単ではないですし、一人でそういう場所に行くのも考えられませんでした。ただSKE48は、地元で活動できるアイドルグループということをテレビで知って、じゃあ受けてみようと思ったのがきっかけです。

――AKB48の活動は追っていましたか?

高柳 当時はAKB48さんも、そこまでテレビに出ていなかったので、あまり知らなかったんです。『Mステ(ミュージックステーション)』に「スカート、ひらり」で出ていたのを見たぐらいでした。だからSKE48のことも、グループ名は知っていたけど、メンバー一人ひとりの名前は知らなかったです。ちなみにSKE48に入って、最初に出た公演に「スカート、ひらり」も入っていました。

――オーディションを受けることは友達にも伝えていたんですか。

高柳 恥ずかしくて言えませんでした。みんなにバレたのが加入して一年ほど経った高校3年生の初めだったんですけど、友達も驚いていました。当時は「アイドル=オタクの文化」という偏見みたいなものがあったので、周りにアイドル好きだと言ってなかったんです。

――高柳さんがアイドル活動をしていることが分かって、周囲の反応はいかがでしたか。

高柳 SKE48もメジャーデビュー前でしたし、そんなに私はテレビにも出ていなかったので、友達との関係性も変わらず、特別扱いされなかったのがうれしかったです。お仕事で授業に出られないときも、友達がサポートしてくれて。最後の一年間は、みんなに助けられて、高校を卒業することができました。

――オーディションに合格していなかったら、どういう進路を考えていたんですか。

高柳 通っていた高校が料理や被服などの学校で、私は料理が好きだったので、漠然と料理専門学校に行きたいなと思っていました。

――オーディションを受けるときに、親は賛成だったんですか。

高柳 親の承諾書が必要なので、勇気を出して母親に伝えたんですが、多分そんなに深く考えずに、「どうせ受からないでしょう」みたいな感じで承諾してくれて。いざ受かったら、母親が悩んでいました。そのタイミングで父親に言ったら、「なんで言わなかったんだ!」って怒っちゃって、母親はどっちにもつかずだったんですが、とにかくフォローしないといけないと思ったのか、「おニャン子クラブの秋元康先生が手がけているグループだから大丈夫だよ」と(笑)。しばらく父親は心から応援してくれる感じではなかったんですが、高校を卒業する頃には選抜にも選ばれるようになって、テレビや歌番組にも出るようになったので、ちゃんとしたところでやっているんだと理解してくれて、応援してくれるようになりました。

――オーディションの歌唱審査で「ハナミズキ」を歌ったそうですが、どういう理由で選ばれたのでしょうか。

高柳 高音が多い曲だと声が裏返りそうなので、落ち着いて歌える曲を考えたときに、「ハナミズキ」なら大丈夫かもと。それまで、あまりカラオケにも行ったことがなかったので、歌い慣れている訳でもなかったんですけどね。

――秋元先生の存在は知っていたんですか。

高柳 もちろんお名前は聞いたことはありましたが、ほぼ存じ上げてなくて、顔も知りませんでした。歌唱審査で歌っているときに、目の前にいた男性が足と手でリズムをとりながら聴いてくれていて。「この方、ちゃんと聴いてくれている」って安心して歌えたんですが、それが秋元先生ということを後で知りました(笑)。

――オーディションのときに秋元先生は、高柳さんを高く評価していたそうですね。

高柳 後々、マネージャーさんから、「あの日は明音が一番高い評価で、秋元先生が『この子だね』と言ってたよ」と聞きました。

――それまでダンス経験はあったんですか?

高柳 どこかでレッスンを受けたとかはなかったんですが、踊るのは好きでした。学校の授業にダンスはなかったんですが、中学の修学旅行のときに全員参加でダンスを披露する大会みたいなのがあって。自分たちで楽曲を決めて、自分たちでダンスを考えて、宿泊した宿の宴会場で一組ずつ披露していくというのがあったんです。

――修学旅行でダンス大会は珍しいですね。

高柳 そうですよね(笑)。私たちは8人ぐらいでTOKIOさんの「花唄」を踊ったんですが、練習期間が本当に楽しくて。私は率先して仕切るタイプではなかったんですけど、積極的に意見も言いました。披露したときも心から楽しかったので、いまだに覚えています。人前に出て喋るとかは苦手だったんですけど、何かになりきって踊る姿を見てもらうのが楽しかったんですよね。