オリジナル公演がもらえなくて光が見えなくなっていた日々

――SKE48二期生は、オーディション合格から約1か月後、2009年4月25日にお披露目がありました。

高柳 お披露目はAKB48さんのNHKホールコンサートで、二期生はSKE48の先輩方のバックダンサーだったんです。たった一曲だったんですが、マイクは持たないけど、声を出して歌いながら、ひたすら右手を突き上げるみたいな振りを練習して、右手だけ筋肉がつきました(笑)。まだそんなにSKE48自体も忙しくなかったので、ひたすらレッスンの日々でしたね。その時点ではチームに入れるかも分からなかったんですが、新しくできるチームKⅡに二期生の中から14人が選ばれて、ありがたいことに私も選んでいただきました。

――6月13日に「SKE48 チームKII 1st Stage『会いたかった』公演」で劇場公演デビューするので、かなりタイトなスケジュールですよね。

高柳 「会いたかった」公演だけで何十曲も覚えなくちゃいけない。しかも一人でも間違えたらイチからやり直すという過酷なレッスンでした。

――当時のSKE48は体育会系のイメージが強いですが、それを地で行くレッスンだったんですね。

高柳 めっちゃ体育会系でした。「泣くんだったら踊れ。踊れないなら練習しろ!」みたいなノリでしたから(笑)。

――それまで部活経験はあったんですか。

高柳 小学生のときに陸上部に所属していたんですが、活動するのは夏だけで、冬は野球部に所属していました。

――女子だけの野球部ですか?

高柳 いえ、基本は男子だけの野球部なんですが、陸上部をやりたいなら冬の間は野球部に入ってトレーニングをしなさいみたいな。なので女子は5人ぐらいだったんですが、男子に混じって野球部の練習に参加していました。もともとスポーツが好きでしたから、体育会系は性に合っていたんですよね。「勝ちに行くぞ!」みたいなノリも割と好きです。

――高柳さんは2010年6月9日開催の「第2回選抜総選挙」で35位になり、チームKⅡのリーダーに就任します。翌年の「第3回選抜総選挙」では、さらに順位を上げて23位となりますが、そのときのスピーチで「秋元先生!私たち(チームKⅡ)にオリジナル公演をやらせてください!」と直談判したのが話題になります。

高柳 まさか、そんな大事になるとは思っていなくて、ただ思ったことを言っただけだったんです。チームKIIは、秋元先生が書いてくださるオリジナル公演をいただいたことがなくて。過去に2年以上に渡ってオリジナル公演をもらえないチームは当時なかったんです。違うチームの公演をリバイバルすることが続いていたので、このままオリジナルがもらえない状態が続くのかと不安で、光が見えなくなっていました。もちろん先輩方がやっていた公演も楽しいけど、やっぱりオリジナルをやりたくて。

――リーダーを務めていたからこその責任感もありましたか?

高柳 ありました。他のチームがもらえていたものがもらえないと、チームとして成立してないって思われる不安もありましたし、ある時期から、みんなの目の光が失われているなと感じていたので、救わなきゃいけないという思いもありました。チームKIIを応援してくれているファンの方々に喜んでもらいたい気持ちも強くて、このままチームKⅡの光を消したくなかったんです。今となっては秋元先生が書いたオリジナル公演をいただけること自体が貴重なんですけどね。

――そういう思いが選抜総選挙のスピーチに繋がったと。

高柳 直接、秋元先生に言える場所が総選挙しかなかったんですよね。当日はスタッフの方々にも相談せずに言ったので、後から「冷や汗かいたよ」と言われたんですが、それがきっかけにもなったのか話が進んで。2011年10月1日から初のオリジナル公演となるチームKII 3rd Stage「ラムネの飲み方」が始まりました。あと、総選挙の前にも秋元先生に知っていただきたくて「チームKIIはこういうチームです」ってお手紙を書いたこともあったんです。秋元先生ご本人に確認した訳ではないので、都市伝説みたいな感じで聞いてほしいんですが(笑)。その手紙に書いていた言葉が歌詞に入っている曲もあって、もしかしたら秋元先生からの返事なのかなと思いながら歌っていました。

――高柳さんは2021年4月にSKE48を卒業しますが、チームKIIは2022年12月11日より、約11年ぶりのオリジナル公演となる「時間がない」を始めます。この公演も観に行ったそうですね。

高柳 立ち上げからSKE48卒業まで、ずっとチームKⅡにいたのは私だけなんですよね。それで現役メンバーに「チームKⅡの新公演を見に来て欲しいです」と声をかけてもらって観に行きました。