映画『日本のいちばん長い日』に出演して芝居に本腰を入れようと思った

――キャリアについてお伺いします。2012年に「第1回Patchメンバーオーディション」に合格して、劇団Patchの第一期メンバーとして舞台デビューします。その前から俳優に憧れはあったんですか。

三好 それが全くなかったんです。僕は高校を卒業して、楽曲提供する側になりたいという夢があって、「専門学校ESPエンタテインメント大阪」という音楽学校に通っていたんです。ところが学校の先生が勝手に書類を提出していたんですよ(笑)。それでふらっとオーディションに参加したら合格しちゃって、

――自分の意思ではなかったんですね!

三好 芸能関係の学校でもあったので、事務所から、「こんなオーディションがあるので、ぜひ何人か応募してください」みたいなお話があったんだと思います。それで事務所に入ったら、「役者をやってください」みたいな流れになって。ドラマや映画には全く興味がなかったんですが、まだ18歳だったので人生経験としてやってみようかなというところから始まって、気づいたら14年ぐらい経っています。

――音楽はお幾つぐらいから好きになったんですか?

三好 兄の影響でロックバンドが大好きになって、小学生の頃からラジオで音楽を聴いたり、音楽フェスに行ったりしていました。学校ではゴスペルも学びましたし、今では多彩なジャンルを聴いています。

――音楽学校では楽器もやっていたんですか?

三好 一コマだけベースの授業を受けていたんですが、打ちこみの授業も選択していて、セミナーを受けたりしながら、2年かけて音楽家になれればいいなと思っていた矢先の事務所入りでした。

――事務所に入った後も、学校には通い続けたんですか。

三好 1年の途中で事務所に所属することになったんですが、芸能関係の学校なので両立が可能だったんです。ただ事務所から来る仕事に加えて、劇団の仕事もあって。稽古やレッスンでほとんど学校に行けなくて。実質ちゃんと行けたのは8ヶ月間ぐらい。全て公欠を出していたので出席率は100%でした。

――全く興味なかった中で俳優を始めて、プレッシャーはなかったんですか。

三好 ありましたけど、バンド活動や陸上をやっていたのもあって、大勢の人の前で何かをするとか、緊張感のある場で勝負をするのは得意なほうでした。

――本格的にお芝居に打ち込みだしたのは、どのぐらいのタイミングでしたか。

三好 ちゃんと本腰を入れてやらないといけないなと思ったのは25歳前後のときです。正直デビューして7、8年は、「いやいや、役者をやるつもりはないんだよな」と思いながらやっていました。

――何かきっかけがあったんですか。

三好 『日本のいちばん長い日』(2015)という戦争映画に出させていただいたのが大きかったんです。第二次世界大戦後70年に当たる年の記念作品で、撮影は主に太秦で行いました。役所広司さんが主演、堤真一さんが準主演で、お二人と京都で何度か飲ませてもらう機会があったんです。お二人ともトップで活躍されている方ですし、映像作品はもちろん、名だたる舞台にも出演されていて。「本物ってこうなんだ」と勉強になるお話しばかりで、ちゃんと自分もやらなきゃと思ったんです。それからは、休みがあればドラマや映画を観るようにして、出演する作品があるときは、たくさんの資料に目を通して研究するようになりました。そうやって意識やスタンスが変わると、作品を観るのも好きになりましたし、プライベートでブロードウェイまで舞台を観に行くこともありました。