小中高と12年間、サッカーに打ち込んでプロも目指していた

――宗像さんは学生時代、サッカーに打ち込んでいたそうですね。

宗像隼司(以下、宗像) 小中高と12年間、サッカーをやっていました。お父さんが町内のサッカークラブで監督をやっていて、何をするにも「サッカーをやらないか?」みたいな感じだったので、やるべくしてやったところがあります。家でもだらけることができなかったので最初は嫌だったんですが、どんどんサッカーにハマっていきました。

――お父さんが監督だと家でも気が抜けなさそうですね。

宗像 練習のときは本当に厳しかったので、家に帰っても、その印象がずっとありました。なかなか普通に話せない時期もありましたし、高校生になると変なプライドもあって、余計に話しにくくなりました。

――プロのサッカー選手になりたい気持ちもありましたか?

宗像 ありました。高校は強豪校で、県大会には必ず行くし、県大会でも上位を争うチームでした。ただ、プロの壁は厚かったです。

――サッカー一筋だったところから、どうして芸能の世界に入ろうと思ったのでしょうか。

宗像 サッカー漬けの日々が終わって、しばらく熱中するものがなかったので、自分の中で物足りなさを感じていたんです。そんなときに友達から、「一緒にジュノン・スーパーボーイ・コンテストに出てみないか?」と誘われて、一緒に応募したんです。それが二十歳のときでした。

――もともと芸能界に興味はあったんですか。

宗像 映画が好きだったので、全くなかったといえば嘘になりますけど、まさか自分が行く場所ではないと思っていました。

――「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で特に印象に残っていることは何でしょうか。

宗像 ファンの方に向けた配信があって、初めての経験で難しかったです。あと最終選考会も生配信されたんですが、上手く自己アピールできるように事前に練習したのを覚えています。当時、僕が武器にできるものはサッカーの経験とコミュニケーション能力だったので、そこをアピールできるように意識しました。

――コミュニケーション能力もサッカーを通して培われたものですか。

宗像 そうです。クラブチームでの経験もありましたし、部活は上下関係もしっかりしていたので、いろんな環境で多くの人と接してきました。

――「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」では審査員特別賞を受賞します。

宗像 最終選考会後はドラフト会議のように、声をかけてくださった事務所と面談をするんです。僕は20社ぐらいの事務所と面談したんですが、そのときに改めて自己アピールの大切さを痛感しました。

――芸能活動を行うことに家族は賛成だったんですか。

宗像 お父さんから猛反対を食らって、厳しいことも言われたんですが、そのときに初めて反抗したというか、「絶対に東京に行く」と自分の意見を貫いたんです。それまで親が公務員だったのもあって、自分も公務員になるんだろうなと漠然と思っていたんです。そういう学校にも通っていたんですが、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でチャンスを掴んで、東京に行って自分の実力を試したいなと思って、その気持ちを正直に伝えました。それで両親も理解してくれたし、今は応援してくれています。今も直接、お父さんから何か言われることはないんですが、陰で支えてくれているので感謝しています。