グループ時代の舞台『16人のプリンシパル』をきっかけに女優へ。“奇跡”だった恩師との出会いも
――グループ時代からの通算で、芸能生活は14年目となります。若月さんはなぜ、芸能界に飛び込んだのでしょうか?
若月 高校時代に進路を考えたとき、友人が「看護師になりたい」「興味のある分野を勉強するために大学へ行きたい」と言っていたのに、私には何もなかったんです。はっきりした目標があるわけでもなく、妥協してどこかの大学へ進学しても「将来どうしよう」と、また、悩むんだろうと考えて。どうせなら「やりたかったことにチャレンジしてみよう」とひらめき、思い出したのが幼い頃に見た『天才てれびくん』(Eテレ)でした。当時、同い年の子たちがテレビで活躍しているのを見て「楽しそう」と思っていた感覚は残っていたんです。中学から高校にかけては進学校に通っていたので、芸能界への憧れも忘れていたんですけど、AKB48さんのファンである友人から「アイドルやってみたら?」とすすめられて、オーディションを受けたのがきっかけでした。
――7年以上の在籍期間をもって卒業した、グループ時代の経験も糧になっているかと思います。
若月 コメントを求められたときのレスポンスは、早いかもしれません。グループ時代はCDをリリースするたびにコメント収録があって、新曲の魅力を伝える機会が日常的にあったんです。
――握手会では、数秒の限られた時間でファンのみなさんのリクエストに応えたり。日々の活動で、学べる機会もたくさんありそうですよね。
若月 会話でも瞬時に相手が何を言っているのか、聞き取る力が鍛えられた気もします。大人数グループだったので、ライブのステージでは誰が何を話しているのかと集中もしていました。あと、特に舞台では役に立っていると思うんですけど、ステージ上での立ち位置や自分の役割を瞬時にみきわめられるのは、グループ時代の経験があってこそです。場位置といって、アイドルのステージでは中心を「0」として、左右に「1,2,3…」と振り分けられている番号を基本の位置にして、曲中でのフォーメーションの流れを頭に入れるんです。対になっている「シンメトリー」のメンバーは特に、舞台からはけるタイミングも一緒になるので、お手本にしていました。当時あったステージへの意識が今も染み付いていますし、俳優として出演する舞台でも、短時間で立ち回りを覚えられます。
――やはり、今なお経験は役立っているんですね。そうした学びもあったグループ卒業後の選択肢として、俳優を選んだ理由は?
若月 グループ時代の舞台『16人のプリンシパル』が大きかったです。メンバーみんなで舞台を作り上げたからこそ、苦手意識のあった演技に取り組めて。歌やダンスが上手な子、モデルをやっている子もいるなかで「自分には何ができるだろう」と考えていた時期に「あなたは芝居に向いてるよ」と言ってくださるスタッフさんと出会うきっかけでもあったんです。そこから、グループ在籍中もたくさんのお芝居を経験して、卒業後は演技をさらに勉強したいと思い、俳優を選びました。
――俳優として、ターニングポイントとなった作品は何でしょう?
若月 グループ時代に単独で出演した舞台『スマートモテリーマン講座』と、テレビドラマ『今日から俺は!!』(日本テレビ)です。いずれも福田雄一さんが手がける作品でしたけど、私にとっての恩人なんです。福田さんは『16人のプリンシパル』を担当されていたこともあったんですけど、当時の私は大勢いるなかの1人だったので印象には残っていなかったと思うんです。でも、『スマートモテリーマン講座』には奇跡があって、渋谷のヤマダ電気でたまたますれ違った福田さんに、グループで当時出演した舞台『すべての犬は天国に行く』のフライヤーを持っていた私が「今度やるので、お時間あるようでしたらぜひ来てください」と声をかけたのがキャスティングのきっかけだったんです。一瞬でしたけど、配役を決めるときに「今度の舞台では、おもしろい肩書きの人を中心に置きたい。そういえば、ヤマダ電気でチラシをくれた子がいたな…」と思い出してくださったみたいで、不思議な繋がりもあるんだなと思いました。
――経験も様々に、俳優やモデルだけではなく、アートでは「二科展」で特選入賞し、エッセイやコラムも執筆するなど、活躍の領域がじつに幅広い印象もあります。
若月 場面によって絵で描くか、ダーッとしゃべるか、文字として残すのかが違うだけで、表現したい気持ちがあるのはどれも変わらずですね。一時期「何をしている人なの?」と聞かれるのが、カッコいいと思っていたんです。それこそ、グループ時代にお世話になった秋元康先生は、作詞をしたり、脚本を書いていたり、グループをプロデュースしたりと、何もかも成功させてトップにいらっしゃいますし、ひとつに絞るのはもったいないと思うので、色んなことにチャレンジしています。
――客観的にはうらやましくなるほど、人生が充実していそうで。それでもなお、今描く夢もあるのでしょうか?
若月 たくさんあって、叶えられていない悔しさもバネにして、一つひとつ実現してみたいです。初の女性限定イベントのように、誰かの役に立つための何かを「どう具現化できるか」が今の課題ですね。グループ時代も「誰かの役に立ちたい」と言ってきたんですけど、当時は漠然としていたと思うんです。でも、いろいろな経験を積んできて、具体的な形として提供する人にならなければという気持ちも強くなってきたんです。例えば、芸能界に憧れる人たちに向けた講座は一つの理想ですね。形式的な情報はネットで無数に溢れているけど、リアルな経験を元にした情報を届けられる場は少ないと思うんです。何も知らずに芸能界へ飛び込んだ人たちへ、舞台用語やステージでの立ち回りについての基礎を教えられるワークショップも興味があって、私が“1日”で伝え切って、残りの“364日”で成長が早まるならうれしいですし、やってみたいです。
――具体的なアイデアが浮かんでいるようですし、あとは、やるしかないですね。
若月 本当にそうで、あとは、需要と供給のバランスが合えば。高校時代から「絶対、将来は社長になれるよ!」と背中を押されてきたし、誰かに寄り添いながら引っ張っていける人になりたいです。
Information
作品名: 舞台『有頂天家族』
公演日:2024年11月3日(日・祝)~11日(月)東京・新橋演舞場、2024年11月16日(土)〜23日(土・祝)京都・南座、2024年11月30日(土)〜12月1日(日)愛知・御園座
PHOTOGRAPHER:TOMO TAMURA,INTERVIEWER:SYUHEI KANEKO,HAIR&MAKE:NADEA,STYLIST:KOSUKE OTOMO
衣装提供
シャツ、パンツ、ブーツ、イヤリング(HARE)
リング(enn.)
アクセサリー協力(Rhodes Showroom)