子役からステージ活動へのステップで「松田聖子」をはじめ“昭和のアイドル”をめざすように
――音楽の原点としては、幼い頃にお父さんの運転する車で聴いていた昭和歌謡があったそうですね。
武藤 80年代の曲が当たり前に流れていました。車はもちろん、家族でのカラオケも親が懐メロばかり歌うので、いつのまにか好きになっていましたね。でも、松田聖子さんのように、アイドルの先輩方に憧れたのは、ステージに立つ側となってからでした。
――憧れてステージに立ったのかと思っていたので、意外です。
武藤 子役から芸能活動は続けていて、可憐Girl’sのメンバーとしてデビューしたタイミングで、80年代のアイドルの方々を意識するようになったんです。頑張るには目標が必要だと思って、今も憧れる松田聖子さんをめざすようになりました。
――いわば、可憐Girl’sがアーティスト・武藤彩未としての原点でもあったと。
武藤 そうですね。人前で歌うようになるまでは、純粋に好きで聴いていただけで。でも、可憐Girl’s時代には「松田聖子さんをめざしている」とは言えなかったです。想像していたキラキラした世界とは違い、メンバー3人中、歌とダンスが未経験なのは私だけだったし、付いていくのに必死でした。本気でめざそうとしたのは、さくら学院の卒業後、何がしたいかを考えてからだと思います。ステージ活動で歌の楽しさに気がついて、続けたいと思ってからは胸を張って松田聖子さんへの憧れを口にできるようになりました。
――さくら学院はアイドルグループとしては特殊で、中学3年生での卒業が絶対でした。その後の進路として、ソロアーティスト以外の選択肢はあったんですか?
武藤 なかったです。可憐Girl’s、さくら学院の経験で歌にどっぷりつかったし、迷うことなく歌の道を選びました。当時のスタッフさんに進路を相談したら「1人で頑張ってみるか」と後押ししてくださって、準備のために、アルバム『永遠と瞬間』のリリースまではレコーディングスタジオを借りて歌いこんで、体力をつけるためにジムへ通い、欠かさず走っていました。
――2012年3月にさくら学院を卒業、2014年4月のアルバム『永遠と瞬間』リリースまでの約2年間、表舞台を退いての不安はなかったのでしょうか?
武藤 忘れられちゃうんじゃないかとか、卒業から時間が空くので私への熱量も冷めてしまうんじゃないかとか、色々な不安もありました。でも、デビューが目標にあったので、そこに向けて頑張るだけでしたね。
――しかし、2015年12月のクリスマスライブをもって活動休止に。前事務所を退社してフリーランスとなり、約2年間のニュージーランドでの海外留学も経験しました。
武藤 子役からずっと芸能界だけを見てきたし、いったん自分を見つめ直そうと思っての選択肢でした。中学時代から英語の授業が好きだったし、いつか「海外留学にしたい」とは思っていたんです。決めた当時は、音楽活動に戻るとは考えていなくて、留学先で「楽しいことがあったら、そっちに行けばいい」ぐらいの気持ちでした。ニュージーランドでは、1年目は学校へ通って英語を学び、2年目はワーキングホリデービザでアルバイトもしていたんです。働いていた現地のパン屋さんでは余ったパンをたくさんいただき、ホストファミリーの作ってくれたおいしいご飯もバクバク食べていたら、10キロも太っちゃって…。でも、それほど海外留学を満喫していました。