声出し解禁のワンマンライブで泣いてしまうぐらい感動した

――HALLCAさんは2012年6月結成のアイドルグループ「Especia」でデビューし、2017年3月の解散までオリジナルメンバーとして活動します。解散が決まったとき、またアイドルグループに加入するという選択肢はなかったのでしょうか。

HALLCA 解散してからアイドルグループのお誘いもあったんですけど、Especiaが2016年6月から新体制でアーティスト路線に移行したのもあって、またアイドルに戻るのは考えられなかったです。それにEspeciaが大好きだったから、それ以外でアイドルをやるのも考えられなかったです。

――解散してからソロアーティストになるまで、ブランクがありますよね。

HALLCA 当時は、すぐに「ソロ活動」とは気持ちを切り替えられなかったので、1年半ほど迷いに迷って、その間は舞台やアシスタントMCのお仕事などをさせていただきました。でも「やっぱり歌をやりたい」って気持ちが強くなって、その1年半は独り立ちする心構えができた時期でもあります。冷静に自分を見詰め直すことができたし、当時そのままEspeciaの余韻でやっていたら、ちゃんと続けられなかったのかもしれません。

――不安はなかったんですか。

HALLCA 最初は自信がなかったです。ソロになって楽しめるのかなって不安もありました。ただ、それよりもステージに立ちたいって気持ちが勝っていました。

――ソロになってからはシンセを使ってのライブが基本ですが、もともとクラシックピアノを習っていたそうですね。

HALLCA そうなんです。ただピアノを習っていたのは大分前だったので、かなりブランクがあったんですよ。最初は弾けないし、歌えないし、マイクの位置も分からないしと、すごく難しくて。弾くことに集中すると歌のピッチがずれるし、歌に集中すると指がついていかなくなるし。そこでオケにして歌に集中することもできたんですけど、楽なほうにいくのも嫌だったんですよね。新しい活動を始めたわけだし、シンセを使ってのライブスタイルに挑戦しようと思いました。

――その当時、インタビューをさせていただいたときに、ソロ活動を行う傍らボイトレの先生もやっていると仰っていました。

HALLCA 懐かしい!今はやってないんですよ。何人かに教えていたんですが、まだソロで満足な活動ができていないのに、教えている場合じゃないだろうと思って。それに先生ってアウトプットが多いですけど、まだまだインプットしたいなって気持ちも強かったんです。教えていた子の中には、本気でデビューを目指している高校生の男の子もいたし、まだ小学生の子もいました。もちろん教えるときは100%でやっていましたけど、その子たちの夢を叶えるには200%で教えてあげなきゃいけないのかなと思って。そうなると今は自分の活動に集中したいなと思いました。

――2019年からは自身で作詞作曲も手掛けるシンガーソングライターとなり、精力的にリリースとライブを行いますが、2020年にコロナ禍でライブ活動などが制限されてしまいます。

HALLCA 確かにライブをできない方は多かったと思うんですけど、私の場合はできないなりにキャパを縮小して行うなど、コンスタントにライブをしていたほうかなと思います。制限がされ始めた頃は、逆に「やったるぞ!」って気合いが入っていたんです。でも思っていた以上にコロナ禍の自粛期間が長かったから、制限がある状態でのライブは窮屈になっていきました。ようやく今年1月8日に渋谷CHELSEA HOTELでフルバンドセット・ワンマンライブ「Into a Dream」を開催したときは、声出しも解禁されたタイミングだったので、3年ぶりにファンの方々の声が聞けて、泣いてしまうぐらい感動しました。

――コロナ禍に入ってからもハイペースで楽曲のリリースを行っていたのが印象的でした。

HALLCA 負けたくなかったんです(笑)。一回気持ちが折れちゃうと立ち直れない気がして、折れないように頑張っていました。自分のモチベーションを上げるために、必ず週に一回YouTubeライブを行ったり、ファンクラブを立ち上げたり、よりファンの方と密に接するように工夫していました。私自身、YouTubeライブのコメントに助けられましたし、ファンクラブでも隔週で配信をしていたんですけど、ファンの方とプライベートな会話もできて濃い時間を過ごせました。