プロとして、社会人として味わった「2度の挫折」から自身の道を切り拓いて
――高校卒業後、19歳で路上ライブをはじめたともありましたが。進学はされたんでしょうか。
加藤 音楽の専門学校に通ったんですが、授業がつまらなくて入学から1ヶ月で通わなくなったんです。そこからは、アルバイトをしながらライブへの出演を続けていました。でも、音楽で「食べていこう」と決心するほどではなかったです。曲を作れば「誰かが見つけてくれるはず」と期待するだけでしたし、「育成アーティスト」で入った事務所でも「とにかくいっぱい曲を作り、自分の魅力を分析して」と言われるだけでしたので、ただただ一生懸命なままでした。
――主体性を求められるといいますか、自由放任な事務所だったんですね。
加藤 編曲してくださる方を探していただく程度で、どれほど自分の曲を作っても反応がなかったんです。弾き語りをはじめるきっかけとなったYUIさん、憧れていた絢香さんのように「いい曲を作って歌いたい」と意気込んでいたんですが、事務所から「黄色いスーツを着て、アフロヘアーで歌おう」と突拍子もない提案をされたときもあって。正直「色物にしたいんだ」とガッカリしたし、イメージと異なる活動を強いられる環境にメンタルも限界だったので、23歳ぐらいで「辞めます」と言いました。
――事務所を辞めてからは、何をされていたんでしょう。
加藤 25歳までは母が経営する介護の会社で事務として働いていました。毎日「これからどうやって生きていこうか」と思いながら、今「これをやってる」と胸を張って言えない時期でした。でも、音楽はそばにあったんです。仕事でしんどいときも、家に帰ると曲を作りたくなってしまって。SNSに投稿する程度でしたけど、音楽以外に心を整理する方法が分からなかったです。
――その後、上京された背景は?
加藤 とりあえず「東京に出れば何か起きるかも」と思ったんです。親のスネをかじって生き続けるのも嫌だし、一度、地元を離れてみたい気持ちもありました。母からは「あんた、本当にやれんの?」と言われたんですけど、反対はされなかったです。「あんたが決めたことならやってみな」と送り出してくれて、ネットで見たオーディションを受けるために、見切り発車で埼玉県の草加市に引っ越しました。

――そして、新たに音楽活動をはじめられたと。
加藤 いえ。実は、オーディションを受けた事務所には入らなかったんです。すでに上京していたので、そこからが壮絶でした。仕事を決めずに引っ越したんですが、最初は「なんとかなる」と思ったんです。でも、登録した派遣会社に満足な求人がなく、働きはじめても時給1000円いくかいかないかぐらいの仕事しかなく「フルで働いても、家賃や生活費を考えると足りなくない?」と、あとから気が付くほどでした。
それに、仕事が続かなかったんです。週5日で朝から夜まで働くリズムが合わず、仕事に受かってもすぐに休んでしまい、罪悪感をおぼえる悪循環で。ショッピングモールでの販売員、企業の総務、ゲーム会社でのシナリオチームの進行管理…と転々としましたが、職場環境への不満はなかったのに「音楽をやりたくて上京したのに、違うことをやっているのが許せない」と、自分を追い詰めていました。
――それほど、音楽への情熱が強かった印象を受けます。
加藤 そうかもしれません。あと、どこか天狗になっていたのもあったとは思います。中学1年生で両親が離婚してもめげず、学校ではクラスメイトからの推せんで学級委員になったりもして「周囲の人より自分はできるはず」と、思い込んでいたんです。でも、社会人としては誰もができることをできなかった。私にとって、草加に引っ越してからの派遣社員時代は、地元で「育成アーティスト」だった時代に次ぐ「第2次暗黒時代」といってもさしつかえなく、命を絶ちたいとはいかなくとも「消えてしまいたい」とずっと考えていました。
――そこから、音楽の仕事をみずからの手でたぐり寄せることができたんですね。
加藤 週5日を週4日に短縮したり、勤務時間を縮めたり。条件を変えても、長続きする仕事に出会えなかったので「根本を大きく変えなければ」と思ったんです。相手の環境に合わせてどれほど我慢できるかでなく「いっそ、わがままに振り切ってみたらどうなるのか」と、考え方を切り替えたんです。歌いたい、人と会わずに仕事をしたい、電車に乗りたくない、時間を自由に使いたい…と、やりたいことを並べてみて、行き着いたのが仮歌シンガーでした。

――仮歌シンガーは、音楽業界での職種としては一般的なんですか?
加藤 そうだと思います。地元の仙台でも、ボランティアでの仮歌シンガーの経験もあったんです。でも、当時は仕事になるとは思っていなかったです。派遣社員としてくじけて、ネットで調べてみたらお金をいただいてやっていらっしゃる方もいると知り、自宅に音楽の機材一式は揃っていたので「私も戦えるかもしれない」と直感しました。
――いわば、フリーランスとして一念発起されて。仕事はどのように獲得されたのでしょう。
加藤 最初は、すでに活躍されている方も参考にして、自分の音域や得意ジャンルなどの情報を整理しました。当時のTwitter(現・X)やFacebookでも作曲されている方にメッセージを送って、スキルマーケットの「ココナラ」にも出品したら、初めての依頼をいただいたんです。今も懇意にしてくださっている方で、はじめて引き受けたのはアイドルの曲でした。
