面接で何も極めてないことが私の売りと自己アピール
――ここからは学生時代のお話を伺います。高校時代、どんな進路を考えていましたか?
宇賀 ずっと好きなことが一緒なんです。小学生時代は新聞係で放送委員をやっていて、何かを言葉で人に伝えるのが好きでした。中高時代は雑誌が大好きで、当時はフリーペーパー全盛期でそこら中に置いてあったので、それを持って帰って、切り貼りして自分なりにまとめたりしていたので、雑誌の編集者に憧れていました。大学も、なんとなく私の方向はマスコミ系かなと思って社会学部を選びました。ただ旅行も好きだったから旅行代理店も受けたかったし、ビール好きだったからビール会社も受けようと思っていたし、やってみたいことがいっぱいありました。
――進路が明確になったのは大学生になってからだったんですね。
宇賀 そうですね。正直、マスコミ系に限らず片っ端から受けるつもりだったんですよ。ただ、テレビが一番早かったので。テレビから就活を始めて、たまたまテレ朝に拾っていただいたんです。
――テレビ局はものすごい倍率ですよね。
宇賀 数だけ聞くとすごいですよね。ただ私は、何も知らなかったんです。当時は、大学時代からメディア活動をしているような人も周りにいたんですけど、私には何の実績もありませんでした。でも、とにかくお喋りだったので、面接が好きだったんですよ。
――面接好きは珍しいですね(笑)。
宇賀 ですよね(笑)。よく言われるんですけど、大の大人が自分に興味を持って話を聞いてくれる訳ですから、楽しくて仕方がなくて。
――面接では、どんな自己アピールをしたんですか?
宇賀 私はそれまで、小学校でバトン部とクラブチームでバレーボールをやっていて、中学は吹奏楽部、高校は応援団、大学はテニスサークルと、同じことをずっと続けていなかったんです。ある程度できるようになったら次!みたいな。でも、長く続けたものがないことに、就職活動を始める時に悩みました。周りは、小学校から大学まで野球をやってましたとか、3歳からクラシックバレエを続けているとか、帰国子女でTOEIC満点ですとか、何か一芸に秀でている人ばかりだったんです。私には何もないと思っていたんですが、それをあえて逆手にとって、「いろんなことに興味があって、なんでも楽しむことができる。そういう人間は、マスコミに向いてますよね!」というプレゼンをしたんです。
――発想の転換ですね。
宇賀 まさにそうです。マスコミは何か起きたら取材をする。もちろん自分の得意じゃない分野であることもありますよね。だからこそ、いろいろやってきて何でも前向きに取り組めるのが私の売りです!と、ポジティブに転換したんです。
――アナウンサーの方は報道からバラエティまで、いろんな番組もありますし、いろんな場所に行きますしね。
宇賀 そうなんです。ただ、一つのことを極めている、一つのことに打ち込んできた人の評価が高いのは理解できます。素晴らしいことですよね。だからこそ、自分はそうじゃないけど何ができるか、ということを考えました。
――小さい頃から人前で話すことに苦手意識はなかったんですか?
宇賀 それが小学生の時は、先生に指されて、みんなの前で教科書を読むだけでも手が震えるぐらい緊張しやすくて。それが嫌で恥ずかしくて、自分を変えたくて放送委員に入って、人前でしゃべる機会を増やしたことで克服したんです。人見知りでもあったんですけど、ある時、人にどう思われるか気にしているから怖いんだと気がついて。初対面の人と接する時も、お互いに情報量がゼロだからこそ、チャンスなんだと転換しました。あとは、人って思っているほど、他人のことを気にしてないと気づいたこと。四六時中、私のことを考えてる人なんて私以外にいないわけですから、気にしても損だなって。人見知りする意味のなさみたいなものを、たくさん挙げていって、意識を変えていきました。
――自己啓発本を読んでいるようです(笑)。
宇賀 実は小学生の時、自己啓発本やビジネス本をたくさん読んでいたんです(笑)。当時、2週間に1回ぐらい図書館に行ってたんですけど、小学校低学年ぐらいまでは子ども向けの物語を読んでいて。高学年になると子ども向けの本が嫌になっちゃって。かと言って大人向けの小説にもまだピンとこなくて、エッセイ本やハウツー本ばかり読んでいました。それが結果的に、思考の勉強になったのかもしれません。