多摩美術大学での日々
私は、多摩美術大学の演劇舞踊学科という新設されたばかりの学科に進学したのだが、そこでの毎日は実に私を勇気付けてくれて、好きなものをみつけることに後ろめたさや恥を感じることがなくなった。
同級生の中には、表現のために川に飛び込んで芝居をする者がいたし、自慢の長い髪で書道をする猛者もいたからだ。
中庭で奇怪な踊りをしている先輩に話しかければ「暗黒舞踏だ」と親切に知識から踊りまで教えてくれたし、毎日が新鮮なことばかりだった。今思い出しても口元が緩む。
そしてそれを冷やかして笑う者も残念ながらいたが、そんな人の手のひらにはいつも決まってなんの芸術もなかった。
恐れを知らずに挑戦できる者だけが美しさを手にすることができるというのは、この時学んだことだ。
勇敢な仲間たちの存在により、私は好奇心のままにできないこともやってみることができたし、私にできる創造を必死に探求した。
そして、脚本を書くことは私にとって自信が持てることだった。
演劇未経験のまま入学してしまった私は、当初特に自信がなくて、アイデンティティーを失いかけていた。しかし、授業の課題の一環として書いたシナリオが評価されて、私の脚本で同級生が芝居をすることになったのだ。
その内容は能の演目をベースとしたものと規定されており、私に与えられた題材は『道成寺』という演目だった。
女から逃げて鐘に隠れた男を毒蛇になって焼き殺し、後世の鐘供養の時にも祟るという女の情念を描いた内容だ。
道成寺を初めて読んだとき、女性特有の執着や盲目的な勘違い、己を変えてまで恨む執念に背筋がゾクゾクした。しかし、妙に「やっちまえ」と快活な気持ちになったりもするので、私にとってはなんとも惹かれる内容だったのだ。
能舞台では、見せ場の一つでもある「乱拍子」が素晴らしく、圧迫感のある大きな吊鐘の下で恨みの舞が繰り広げられる様は、圧巻だ。
私はこの題材を現代風にアレンジし、鐘の存在を電車、そして乱拍子を踏切がなる音に見立てて大学サークル恋愛地獄の物語を書き上げた。
稽古を増すたびに、自分の頭の中で描いた世界が現実に浮かび上がることが、この上ない幸せだった。
幼少期から空想することが好きで、すぐにボーっとしてしまうと度々怒られていたけれど、それがこんな形で昇華されるなんて思ってもいなかった。
人に見られてはいけないとひた隠しにしていた私の性質が、個性であると認められた瞬間だった。