ありとあらゆる演出家の方とやってみたい

――今回出演するミュージカル『カラフル』ですが、森絵都さんの書いた原作を初めて読んだときの印象はいかがでしたか。

川平慈英(以下、川平) 最初にアニメ映画『カラフル』(2010)を観たんですが、不覚にも泣いてしまって、心を鷲掴みにされました。それから原作を読んだんですが、文章に力が溢れていて、またもや涙腺が緩みっぱなし。ただ僕の演じるプラプラが、あまりにも自分とかけ離れているなと思いました。名前の通りプラプラ生きている妖精を演じている自分の姿が思い浮かばなかったんです。大体オファーをいただいたときって、こういうキャラだから僕にお話がきたんだろうなとか、ある程度は理解して受けるんです。ただ今回は、かけ離れているからこそ逆に「俺がやってみたらどうなるのかな」と非常に興味が湧いたんですよね。作品自体の力強さは揺るぎないものですし、世界初のオリジナルミュージカル化ということで、演出の小林香さんやスタッフの覚悟に一緒に乗っかって、この世界に飛び込もうと思って受けさせていただきました。

――小林さんは『カラフル』を読んだときから、プラプラ役は川平さん以外ありえないと感じたと仰っていました。

川平 本当ですか?それはヘタを打てないなぁ(笑)。

――小林さんが書かれた台本を読んだ印象はいかがでしたか。

川平 「そうきたか!」という良い意味で裏切られた感があって楽しかったですね。小林さんがプラプラに光を当ててくれてくださったのもうれしかったです。

――小林さんとは初めてのお仕事だそうですね。

川平 お互いに長くミュージカルをやっているので、過去にご一緒していてもおかしくなかったんですけどね。僕はありとあらゆる演出家の方とやってみたいタイプなので、どういう風に小林さんが僕を料理してくれるのか、僕の持っていなかった引き出しを作ってくれるのかが楽しみです。新しい方とご一緒したときは特にスパークが起こりやすいんですよね。2021年に出演した舞台で言うと、『藪原検校』の杉原邦生さん、『フェイクスピア』の野田秀樹さんと初めてお仕事させていただいたときも感じたんですが、新しい出会いが新しい自分を引き出してくれるんじゃないかと信じていますから。

――鈴木福さんとはミュージカル『ビッグ・フィッシュ』(2017)以来の共演になります。

川平 そのときは親子役を演じたんですが、今回、福くんが演じる小林真とプラプラの関係性に近いものがあって。『ビッグ・フィッシュ』で演じたのは大ボラ吹きのお父さんで、息子を困らせるんですが、プラプラも真を翻弄するんですよね。写真撮影のときに久しぶりに福くんに会ったんですが、今や大学生で、俺の息子も偉くなったなと(笑)。なんとなくお父さん的な目線で見てしまう自分がいるのですが、福くんのナイーブさというか、醸し出すオーラが今回の役柄にぴったりで余計に共演するのが楽しみです。

――7年前の印象はいかがでしたか。

川平 天才子役と言われていましたが、僕の中ではどこにでもいる普通の少年。小さい頃からこの世界にいるのに、汚れがないんですよ。それでいて、とてもクレバーで、先輩たちに対するリスペクトに溢れていて。長男ということもあるのか面倒見も良くて、しっかり者で、稽古にも真摯に取り組む。当時、福くんのお父さんともお会いしたことがあったのですが、優しそうなお父さんで、こういう家庭で育つと、福くんのようなナイスガイが育つんだと感じたのを覚えています。印象的なのは『ビッグ・フィッシュ』の舞台が終わった直後、まだカーテンコールが残っているのに福くんが号泣したんです。だから「まだ終わってないよ」と言ったら、必死に涙をこらえて、一瞬で素に戻ったときに、彼のプロ根性を垣間見ました。福くんにとってミュージカルの主人公を演じるのは今回が初めてらしいので、そこに立ち会えるのもわくわくします。

――鈴木さんにとって、ミュージカル経験の豊富な川平さんは頼りになる存在でしょうね。

川平 頼りになるかどうか……僕のほうが足を引っ張らないように気をつけないと(笑)。もちろん福くんがピッカピカに輝くような相手役をやりたいし、僕自身も彼からエネルギーをもらって輝きたいし、お互いのエネルギーによる相乗効果で、『カラフル』のパワーも2倍3倍になればいいなと思っています。

――『カラフル』は青少年をメインターゲットにした作品で、未就学児童が入場できる日もあるので、あまりミュージカルに馴染みのない層の方々もたくさん観に来るかと思います。

川平 新規開拓したいですね。若い子たちに観てもらって、こんなに楽しくて心が晴れる芸術作品があるんだと知ってほしい。先日、とある舞台を観劇させていただいたんですが、メインキャストはおじさんばかりなのに、ものすごいエネルギーを放っていて、嫉妬しちゃったんです。年齢の垣根を超えてエネルギーに満ちた作品を作れば、いろんな客層を取り込めるのかなと感じました。今回の『カラフル』も王道のミュージカルマーケットではない客層が観に来ると思うので、川平慈英ってサッカーに詳しいだけの人じゃないんだと(笑)。歌って踊れて、お芝居もできるんだってことを、もっと多くの人に知ってもらえたらうれしいですね。

サッカー留学したアメリカで大きな挫折を味わう

――川平さんは大学在学中にミュージカル俳優としてデビューしたんですよね。

川平 デビューはそうなんですが、実はミュージカル歴はもっと長くて、中学生のときにミュージカルクラブに所属していて、「ウエスト・サイド・ストーリー」「ピピン」「ゴッドスペル」などの作品を12月の文化祭発表会でやっていたんです。高校でもパフォーマンス部みたいなものに所属して、英語劇をやったり、オリジナルの歌を作ってミュージカルを上演したりしていました。高校時代に印象的だったのは「セサミストリート」のパロディで「セサミアベニュー」というオリジナル作品を作って、キャラクターを全て人間にして、僕はアーニー役でした。

――早くから演劇に触れていたんですね。

川平 児童劇団にいたとか、そういうバックグラウンドはないんですけど、そもそも生まれ育った沖縄は宴になれば歌えや踊れやで、物心ついたときから人前に出るのが好きでした。川平家にはクリスマス会があって、その日は子ども演芸会をやるんです。川平一族が30人ぐらい集まるんですけど、その中に10人ぐらい子どもがいて。うちの兄貴は朗読、真ん中の兄貴はダジャレや小噺、そして僕はハブとマングースの一人決闘ショーをやっていました(笑)。これが大ウケで、おじさんとおばさんは「待ってました!」と盛り上がってくれるんですけど、父とおふくろは「恥ずかしいから二度とやるな」と(笑)。でも毎年やってましたね。三男坊ならではの、目立ちたい、人を笑わせたいという衝動が人一倍強かったと思います。

――上京したのはいつだったんですか?

川平 沖縄が本土復帰した1972年で、僕が小学4年生のときです。父がNHKの沖縄放送局でアナウンサーをやっていたんですが、東京のNHKに移動することになったんです。

――すぐに東京の生活に馴染むことはできましたか。

川平 すぐでした。適応能力があるんでしょうね。クラスメイトを笑わせるのが大好きで、ハブとマングースの一人決闘ショーは学校でも十八番でした(笑)。

――中学高校はサッカー部にも所属していて、サッカー選手を目指していたんですよね。

川平 そうです。高校時代、まだJリーグ発足前で読売サッカークラブ(※現・東京ヴェルディ)のユースチームに在籍したんですが、一つ上には都並敏史さんや戸塚哲也さんを始めすごい選手がいて、僕はトップに行けなかったんです。だったらアメリカでプロのサッカー選手を目指そうと、通っていた玉川大学を中退して、アメリカ留学をしました。

――どうしてアメリカを選んだんですか。

川平 兄貴たちがアメリカの大学に行ってたので憧れもありましたし、当時はNASLという北米サッカーリーグがあったんです。アメリカの大学に行って、プロのスカウトに目をつけられて、願わくばプロになりたいという野望を持ってサッカー留学をしました。

――結果はどうだったのでしょうか。

川平 1年目から全米ベストイレブンをいただいて、テキサス州立大学にスカウトされて奨学金をもらえることになりました。教科書、学費はもちろんアパート代まで負担してくれたから、両親は大喜びですよ。監督にも気に入ってもらい、9番をもらったんですけど、すぐに監督が変わっちゃったんです。新しい監督からすると、僕のプレイスタイルは合わなくて、全く出番がなくなりました。練習を頑張ればチャンスがあるかと思って、監督に「残り6試合ありますが、僕の起用法を教えてください」と聞いたら、「二度と君を使わない。違う学校に行くんだったら推薦文を書いてあげる」とハッキリ言われて、初めて友達の前で泣きました。しばらくは傷心してやさぐれましたね。アメリカで就職する気は毛頭なかったですし、サッカーができないならアメリカにいる必要はないと帰国して、上智大学に通いました。

――アメリカでの生活自体は楽しかったんですか?

川平 パーティーしまくりで、そりゃもう楽しかったです!人生は楽しんだもん勝ちだと、そこで学びました。あとアメリカにいた2年半で、コミュニケーション力や適応能力も鍛えられましたし、自分の意見をしっかり持てるようになったことは今にも活きていますね。まあ日本に戻ったら、うるせえやっちゃって悪目立ちしましたけど(笑)。その分、先輩にも可愛がられました。

――アメリカ留学時代、芝居に触れる機会は皆無だったんですか?

川平 今の質問で思い出したんですけど、実は大学でドラマクラスの授業を一つだけ取っていたんですよ。そのときの教授が女性だったんですけど、彼女もブロードウェイを目指していて、オフブロードウェイにも立つ現役の役者だったんです。アメリカは現役の役者たちがメソッド・アクティングを教えてくれるから、めちゃくちゃ楽しくて。あ、また思い出した!その先生が「あんたは才能を持ってるよ!」と言ってくれたんですけど、当時はサッカーにバリバリ打ち込んでいたから、「芝居をやる気はないです」と。

――その先生は川平さんの役者としての才能を見抜いていたんですね。

川平 だったんですかね。いやー、久々に会いに行きたいな。まだ僕のことを覚えているかな。その先生は授業の一環で絵本からミュージカルを作って、生徒たちに演じさせたんですが、僕に良い役をくれたのを覚えています。それでA評価をもらったんですよ。今考えたら日本に帰らずに、ブロードウェイを目指したほうが良かったのかも(笑)。