熱く語ったバンドとしての将来「日本を代表するアーティストになる」
――ここからは、キャリアを振り返っていただきます。元々、金原さんと櫻井さんは中学校時代の同級生だったそうですね。その後、大学進学のタイミングで「YUTORI-SEDAI」を結成したと拝見しました。
櫻井 初めは僕と金原のほかに、同じ中学に通っていた同級生がベースを担当していたんです。
金原 全員が同じ中学校でしたけど、それぞれ別々の高校に進んで。地元が一緒なのでたまたま駅で会ったとき、それぞれ通っていた高校で軽音楽部に入っているのを知ったんです。大学進学のタイミングで僕が「バンドをやりたいな」と思っていたので、最初は当時ベースを担当していたメンバーを僕が誘って、その後、さくも含めてスタジオへ入るようになり「楽しいし、バンドやっちゃおう」となったのが結成のきっかけでした。
櫻井 誘われたときは趣味感覚で楽しそうだなって。あと、金原の声は「めっちゃいい」と思っていたのも受け入れた理由でした(笑)。
――お2人の中学校時代の思い出も聞きたいです。
金原 1年生のクラスでさくと一緒になったんです。でも、仲よかった覚えはあるけど、何していたのかあんまり記憶に残ってない(笑)。休み時間のたび、しゃべっていた思い出はあります。
櫻井 放課後、図書室で鬼ごっこしてたよ(笑)。
金原 あった(笑)。でも、部活はそれぞれ違ったし、仲いいクラスメイトみたいな感じでした。僕はサッカー部で。
櫻井 僕は、吹奏楽部でした。
――そこから別々の高校へ進学したそうですが、中学校や高校では何に力をそそいでいましたか?
櫻井 やっぱり、軽音楽部かな。
金原 僕は中学時代に初めて学級委員になって、人前で話す経験も初めてでしたけど、1年生から3年生にかけてずっと学級委員に力を入れていました。中学ではサッカー部とAKB48にも熱中していたし、家ではオタ芸も踊って(笑)。高校はもちろん、軽音学部でしたね。
――そんな青春時代を過ごし、大学進学のタイミングで結成したバンドの名前を「YUTORI-SEDAI」にした理由は?
金原 何となく日本語を「英語表記にしたい」と話す中で、LINEのグループに候補を送ったのが僕だった覚えはあります。僕たちはゆとり世代のど真ん中で、ゆとり教育だ何だと言われて育ってきた中で、ゆとり世代のワード自体がネガティブなものだと思っていたんです。でも、ネガティブなものをポジティブにしていきたいのがバンド活動で体現したいことでもあるので、そういう意味で「ゆとり世代のワードもポジティブに変えていこう」という思いで、このバンド名にしました。
――その後、2020年頃に上原さんが加入されたんですよね。
上原 僕は当時、別のバンドをやっていて、対バンしたときに2人と出会ったんです。でも、そのときはそれほどしゃべらずに終わって。さらに別のバンドのサポートベーシストとして出た対バンライブで2人と再開して、そこでちゃんとしゃべって、仲よくなってから「ベースがいないから、サポートしてくれない?」と連絡を受けて、2年ほどのサポートベーシストを経て、2020年に正式加入しました。
――二人はなぜ、上原さんと一緒にやりたいと思ったのでしょう?
金原 人柄です。もちろんベースが上手いですし、フレーズのセンスも理由にはあったんです。でも、それすらもさっぴいたときに「どれほど自分たちがストレスなく、楽しく活動できるか」を僕も櫻井も重視していたので、上原の穏やかで素敵な人間性にハマりました。
櫻井 何を言っても、何をしても怒ったりしないし、めちゃくちゃ穏やかで、常にニコニコしていて(笑)。ずっと笑っているところに、惹かれました。
――たがいの信頼が伝わってきます。ちなみに、先ほどお2人にも聞きましたが、上原さんが中学校から高校高にかけて力をそそいでいたことは?
上原 中学校では遊びもそれほどせず、テニス部に打ち込んでいました。高校時代は軽音学部で、人生で初めてバンドの音楽と出会ったんです。放課後は友だちの輪を広げるためにライブハウスへ通って、音楽に浸っていました。
――金原さんと櫻井さんの、音楽との出会いは?
さく 楽器を弾きはじめたのは、小学5年生でした。妹の通っていた音楽教室の先生と母が仲よくて、「何かやってみない?」と言われてはじめたのがドラムでした。趣味感覚でしたけど、中学校の吹奏楽部でもドラムを叩けるパーカッションを担当して、かれこれ十数年続いてますね。
金原 この三人で一番、楽器歴が長い(笑)。幼稚園がキリスト教系だったので中学の頃までは賛美歌、車の中では父の好きな矢沢永吉さんの曲をよく聴いていました。バンドの曲にふれるようになったのは中学2年生の頃です。兄の影響でBUMP OF CHICKENさんや、RADWINPSさん。銀杏BOYZさんやASIAN KUNG-FU GENERATIONさんを聴くようになり「めっちゃカッコいい」と思って、高校で軽音学部に入ったんです。高校時代には興味も広がり、X JAPANさんやLUNA SEAさんも聴きはじめて、ひと通りの音楽にふれました。
――三人のルーツにもふれたところで最後に、YUTORI-SEDAIとしての展望も伺います。
櫻井 この三人で2020年に組んでから「日本を代表するアーティストになる」と公言して、やってきたんです。この先「NHK紅白歌合戦」に出場できるようなバンドになるのも目標ですし、次々と曲をリリースして、ヒットを狙いたいですね。ライブでしか味わえないパフォーマンスも追求しながら、バンドの曲を聴かないリスナーさんにも届くアーティストになれるよう頑張っていきたいです。
上原 昔から、テレビ出演への憧れがあったし、誰もが知っている有名アーティストになりたいです。あと、個人的個人的な成長もできていると思っていて。ベーシストである自分の成長も楽しみですし、応援してくれる方を大切にしながら頑張ります。
金原 誰にでも愛されるバンドになりたいのは、僕も同じ。憧れのアーティストさんはいずれも国民的な存在ですし、僕たちも同じように、世代も性別も関係なく愛されて評価されるバンドになりたいです。かたや、曲だけではなくライブ独自の感動もあると思うので、それも追求しながら、ゆくゆくは日本武道館、ドームツアーとステップを踏めれば。あきらめなければ叶うと思うので、あきらめません!
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