地元で育まれた歌手になりたいという思い
――歌手を目指したきっかけから教えてください。
田﨑あさひ(以下、田﨑) 中学3年のときに、地元・長崎の稲佐山で行われている夏フェス「Sky Jamboree」に大好きなRADWIMPSさんを観に行ったんです。そのときに初めてRADWIMPSさんを生で観て、衝撃を受けて。ステージという立ち位置から、同じ景色を見たいと思ったんですよね。おうちに帰った後、その日に感じたことを家族に言ったら、いろんなオーディションを探してくれて。それが歌手を目指したきっかけでした。
――もともとロックが好きだったんですか。
田﨑 ロックを聴くようになったきっかけもRADWIMPSさんなんですが、小さい頃は民謡に親しんでいました。というのも父が民謡好きで、いつも車でかけていたので自然と自分も歌うようになって。ロックと民謡はかけ離れていますが、どちらも自分の中で根付いている音楽です。
長谷川萌美(以下、萌美) 私は家族全員、歌うのが大好きで、小さい頃から親戚や友達も交えてカラオケに行って、みんなで歌うという環境だったんです。その頃から当時ヒットしていた曲や、親の世代が聴いていた曲など、いろいろな曲を歌っていました。一方でピアノを習っていたので、車内ではクラシックのCDをかけていました。様々なジャンルの音楽を聴いてきた中、中学生のときにクイーンにハマって、洋楽も聴くようになったんです。そのあたりから一人カラオケに行くようになって、人前で歌いたい気持ちが強くなっていきました。
それで高校2年生のときに、地元・新潟に「NHKのど自慢」の収録があるということで応募したんです。予選に通過して、初めてたくさんの人の前で歌う経験をして、さらにチャンピオンに選んでいただいて。そのときに歌手になりたいと思いました。高校卒業後は上京して、音楽専門学校でボーカルコースを専攻して、在学中に受けたのがアップフロントの「第3回 FOREST AWARD NEW FACE オーディション」でした。
――「NHKのど自慢」では何を歌ったんですか。
長谷川 祖父が亡くなったばかりで、生前、私が歌うのを気に入ってくれていた曲の一つだった木村弓さんの「いつも何度でも」を歌わせていただきました。
――舞台度胸はあるほうだったのでしょうか。
長谷川 逆に小さいときは恥ずかしがり屋で、「みんなで『アンパンマンのマーチ』を歌うよ」と言われても母の後ろに隠れて歌うような子どもでした。でもクイーンと出会って、堂々と歌うフレディ・マーキュリーの姿がかっこよくて。こうやって楽しんで歌えばいいんだと、扉を開いてもらった感覚があったんです。そこからフレディ・マーキュリーの歌い方を真似てみたり、いろんなジャンルの曲を歌ったりして、時には6時間ぐらい一人カラオケをして、人前で歌いたい気持ちが育まれていきました。
――田﨑さんは人前で何かすることは得意でしたか?
田﨑 私も注目を浴びるのがそんなに得意ではなかったので、今こうしてステージ上に立っているのが不思議なぐらいです。私も「第2回 FOREST AWARD NEW FACE オーディション」を受けたのがデビューのきっかけだったんですが、それまで歌のレッスンも受けたことがなかったですし、大勢の人の前で歌うこともなかったです。
――オーディションの思い出もお聞かせいただけますか。
田﨑 私も3歳頃からピアノを習っていて、オーディションではピアノの弾き語りで鬼束ちひろさんの「月光」を歌わせていただきました。ピアノの弾き語り自体が初めてのことだったので、舞台に出て、椅子に座るまでは心臓がバクバクでした。でも歌い始めたら、頭の中が真っ白になって、何も考えずに、歌の世界だけに入り込めたんですよね。その後に受け答えがあったので、また緊張したんですが、歌うことが楽しかったという気持ちが大半を占めていました。
長谷川 私は専門学校の発表会に出始めていたので、人前で歌う経験は何度かあったんですが、オーディションの会場が丸の内にあるコットンクラブというライブレストランで。主にジャズの方々がパフォーマンスをするラグジュアリーな空間だったんです。それまで経験したことのない落ち着いた雰囲気で、重苦しさもありつつ、キラキラしているという不思議な感覚になって。私もあさひちゃんと同じく歌うまではドキドキしたんですが、ライトを浴びて歌っている間は本当に楽しくて。シャンデリアに向かって歌っていました(笑)。
――何を歌われたんですか。
長谷川 伊藤由奈さんの「Precious」です。まさにキラキラした楽曲で、充実した時間を過ごせて、自分のパワーを出し切ったなという実感がありました。今までの日常とはかけ離れた体験でしたね。