何もかもにイライラして、常に幸福ばかりを求めていた

多摩美術大学在学中の思い出といえば、強烈なものから温かいものまで、数えきれないほど沢山在るはずなのに、私がじんわりと優しく思い出すのは朝の眩しく揺れる大井町線電車内だ。

校舎のある上野毛駅で下車するはずの多摩美生を電車内で予測するのが好きだった。

「やっぱりね」なんて的中を密かに喜びつつ改札を出れば、個性的なファッションに身を包んだ多摩美生達が大抵大きな荷物を抱えながら列をなして校舎まで向かうのが見える。

その様は何故か愛おしく思えて、またその一員になれているであろう自分のことも、愛おしく思える特別な瞬間がそこに在った。

こんな風に、多摩美で過ごした4年間をぼんやりと懐かしめるようになったのはようやく最近のことで、在学中と変わらずお芝居をやらせてもらっている私は、そのままぼーっと大学生を続けさせてもらっているような気分が中々抜けない。明確に大人の気分を味わうのは映画館で二千円を払う時ぐらいだ。

しかし、あの時はよくやれたなと笑ってしまうくらいに、私は煮詰まった反抗期を持ち越したまま大学生になっていたと思う。

何もかもにイライラして、常に幸福ばかりを求めていた。

小さな不幸を大きく嘆いてみたり、自信のなさを打ち消す強気な態度で自分の首を絞めたり、七転八倒という言葉がよく似合う有様だった。

そもそも、物心がついた頃から、他の人よりも何もかもがうまくできなかった。

そして、出来ない時の悔しさは、いつも喉を通って言葉ではなく涙として溢れた。

そういう訳で、私は小学生時代、学校一の泣き虫だった。

それでも、大人になればきっと、まともになれると信じて学校に通い続けていたが、中学生になると、涙の代わりなのか、いよいよ言葉にしがたい、しかし外にぶつけることも憚られる、暴れ出しそうな気持ちがまだ小さな身体からはち切れて飛び出そうな衝動が現れて、それを恐れるようになった。

叫び出しそうな時に感じる「このままでは私はおかしな人間になる」という悲観的直感はまるで爆弾を隠し持っているかのような罪悪感を抱かせて、私を見えない敵と対峙させ続けた。

電車で叫ぶ人を見れば、私もああなるかもしれないと怯えた。

躾という名目の暴力も、私が罪人であるという事を実感させるのに十分だった。

そして、隠しきった手のひらをやっと開く事ができるのは、駅前のレンタルビデオ店だけだった。