苦しみから救ってくれた祖父の一言「もう頑張り過ぎなくていいよ」

――かつては、有名大学の附属校に通っていたそうですね。

山優香(以下、山) 生徒同士の挨拶が「ごきげんよう」で、貴族が通うような学校でした(笑)。毎日、小テストがあるし勉強を頑張らねばならず、精神的に辛かったです。小学校から中学校にかけては、友だちとは楽しく過ごすけど、家に帰ったらもうグッタリみたいな学校生活でした。

――だいぶ、精神的に追い詰められていたのかと。

山 だから、附属校は中学で辞めました。アニメ『きらりん☆レボリューション』をきっかけに小学校時代から芸能界にも憧れていたんですけど、芸能活動も禁止されていたので「このまま大学までエスカレーターで進んでも、芸能界に入れない」と葛藤もあって。背中を押してくれたのは、一緒に暮らす祖父でした。自宅で勉強していたとき、「もう頑張り過ぎなくていいよ」と言ってくれたんです。当時のうれしさは自社の理念「言葉の力でみている人を救ったり、明日ももう少しだけ頑張って生きてみよう。」として、今でも大切にしています。

――温かい言葉をきっかけに、いつ退学したんでしょう?

山 退学を決めたのは中学3年生で、高校入試がはじまるギリギリのタイミングでした。附属校の卒業後に、芸能活動が許される通信制高校に入学しました。高校入試はそれほど大変ではなかったんですけど、附属校の先生からは「学校に傷が付く」と厳しい意見もいただき、説得するのが大変でした(苦笑)。

――(笑)。当時、両親も説得されたんですか?

山 附属校を退学してからの将来を資料にまとめて、両親の前でプレゼンしました。内容はうろ覚えですけど、退学後に「こんな目標を達成します」と宣言したのは、覚えています。

――高校からは無事に、憧れの芸能界デビューも果たして。

山 最初は、表参道にある芸能事務所の前で「レッスンを受けてみませんか?」と勧誘されたんです。ただ、レッスンを受けただけで事務所には所属せず、高校3年生まではフリーで活動していました。自主的に色々なオーディションへ応募して、振り返るとけっこう忙しかったです。

――その一つが、最終審査で惜しくも落選した=LOVEのオーディションだったと。

山 高校2年生から3年生にかけての時期です。一度決めたら突っ走ってしまう性格で、とにかく片っ端から受けていたオーディションの一つでした。審査が進むにつれて期待度が上がり、若さもあったので「絶対に合格できる!」と思い込んでいたんですけど、落選したときはショックで貧血状態になり、親に迎えに来てもらいました。

――その後、他のグループにも半年在籍したそうですね。

山 ヤンチャン学園音楽部のメンバーとして、秋葉原ソフマップの定期公演に出ていました。歌って踊るのが好きで、活動は楽しかったです。帰り道で他のメンバーと他愛ない会話をするのも楽しかったし、充実した時間でした。