事務所のレッスンでお芝居の楽しさを知った
――この世界に入ったきっかけを教えていただきたいんですが、川床さんはどうして「第18回ニコラモデルオーディション」を受けようと思ったのでしょうか。
川床 ずっと『ニコラ』という雑誌が大好きで、このキラキラした憧れの世界を間近で見てみたいと思って、友達と一緒に記念受験のような形で受けました。
――見事にグランプリを受賞しますが、実際に憧れの世界に入っていかがでしたか。
川床 同期の子たちはモデルになりたくて入っていたので、甘い考えで入った私とは最初からスタンスが違ったんです。初めて撮影に行ったときに、みんなは何パターンもポージングを練習してきているのに、私は2パターンぐらいしかできなくて、これは良くないと思ったのを覚えています。1年目はそんな状態が続いたので、徐々に撮影に呼ばれなくなるというのも経験しました。
新谷 そうなんだー。
川床 一緒に入った子は頻繁に呼ばれているのに、私だけ1回しか呼ばれない月もあって。あまり熱心ではなかったので、おそらく編集部の方からの評価が低かったんです。それがすごく悔しくて。その悔しさがあったからこそ、それが原動力になってスイッチが入りました。
――通いでお仕事するのは大変じゃなかったですか。
川床 いつの間にか慣れました。それにニコラは部活の感覚だったんです。土日に撮影があったので、金曜日は早めに学校を出て、東京に前乗りして、土日は部活をして、月曜にまた学校に戻るという感じでした。
――新谷さんは、どういう理由で「ちゃおガール 2014☆オーディション」を受けたんですか。
新谷 本当に興味本位で、「この世界に入ったらどうなるんだろう」「ちゃおガールに応募することによって何かが始まるかもしれない」というフワッとした明るい希望みたいなものが見えて応募しました。あとは副賞をもらえるのが大きくて(笑)。
――副賞は何だったんですか?
新谷 グランプリがディズニーランドのチケットでした。
川床 へー!
新谷 関西に住んでいたので、ディズニーに行ったことがなかったんです。グランプリに選ばれたら、私が家族をディズニーに連れて行くことができると考えたら、これは大仕事だなと。結果は準グランプリだったんですが、当時『ちゃお』で流行っていたマンガ『12歳。』の3DSソフトをもらいました。
――お芝居をやりたいと思ったきっかけは?
新谷 私は事務所のレッスンに参加してからですね。すごくお芝居が楽しかったんですけど、レッスンだけだと東京に出る機会も少なくて。それで、もっとたくさんのチャレンジをしたくて、さくら学院のオーディションを受けたんです。
川床 私も同年代の子とお芝居のレッスンを受けるうちに、どんどんお芝居が楽しくなっていきました。ニコラは高校1年生で卒業するという決まりがあるんですが、高校1年生のときにはもうお芝居を中心にやりたいと思っていました。ただ、中学生時代はニコラでフル稼働していたので、高校は地元の学校に通って、しっかりと高校生活を楽しみました。けどニコラを卒業した直後は、毎週の撮影がなくなって寂しかったですね。
――新谷さんが上京したのは?
新谷 高校進学のタイミングで上京しました。東京に来たからには頑張らないといけないなと思って活動していたんですが、今思ったら、ずっと構えていた気がします。仕事を頑張らなきゃという気持ちが強すぎて、あまり学校が好きじゃない時期もありました。今思えばどっちも楽しめれば良かったなって思うんですけど。
――ホームシックにはならなかったんですか?
新谷 寂しかったです。でも当時は強がっていて、取材などで「ホームシックになっていませんか?」と聞かれても、「全然大丈夫です!」って答えていました(笑)。それに上京当時は寮に入っていたので、周りの支えもあって、環境に慣れていきました。
――川床さんは高校卒業後に上京したそうですが、コロナウィルスが猛威を振るっていた時期ですよね、
川床 高校3年生のときにコロナ禍が始まりました。ただ東京での新生活に慣れることに精一杯で、コロナ禍でお仕事がどうなるのかみたいなことまで考える余裕がなかったです。