大学に入るまで音楽でやっていく気持ちは一切なかった

――2曲目の「瞳」は、どのように作られたのでしょうか。

Kanan 『遊歩道』収録曲の中で唯一、私がイメージした詞が先にあったんです。

森山 先に詞があって、曲を書いて、それに合わせて詞を書いて、アレンジしてという4段階でした。

――刻々と変化する日々への戸惑いみたいなものが描かれている歌詞なのかなと感じました。

Kanan この一年間でインプットしたもの、いろいろな経験をする上での葛藤が反映されています。会社員をしながら、音楽活動をするのは楽しいこともあったんですけど、苦しいところもあって。昼は体を動かしてがむしゃらに働いていたのに、夕方は心を起こして人前で歌うから、時々、気持ちが乖離する瞬間もありました。そんな日々を振り返ったときに、働く上で心を動かすことも必要だし、逆もしかりで、音楽活動も体を動かしてがむしゃらにやるのも大切。そこの整合性をつけながらやっていきたいけど、できない。そういうことを思い出しながら詞を書きました。

――森山さんは、Kananさんの葛藤は感じ取っていましたか?

森山 去年リリースした曲も含めて、歌詞から思うように心を動かせないことに苦しんでいる様子は伝わってきました。

Kanan おそらく3年、5年と勤めていたら、環境に慣れて余裕が出てきたんでしょうけど、なかなか二つの自分をやりくりするのは難しかったです。

――会社は音楽活動に理解があったんですか?

Kanan そうですね。いろいろ迷惑をかけていたんですが、体制を整えてもらって、ありがたかったですし、短い期間でしたがたくさんの勉強をさせてもらいました。

――詞を書くときは、どういう形が多いのでしょうか。

Kanan 詞先のときは、日頃から書き溜めているものがたくさんあって、「新曲出します」ってなったときに、その中から選んで整えることもありますし、新しくバーっと書いて、行き詰まったときに書き溜めた詞から持ってきて整えることもあります。

――3曲目の「きれい」はお二人のデュエット曲です。

Kanan これは曲が先にあって、詞を書いて、歌ってみようっていうところまでは今までの形と全く同じで。最初に私が一人で歌ってみたんですけど、なんか違うなと感じて、それは森山も同じ意見だったんです。もともとデモは森山の声なので、曲や歌詞の印象も含めて、そっちのほうがしっくりくるかもしれない。それで試しに歌ってみたら、デュエットのほうが良かったんです。

――二人の声が歌詞の世界にもハマっていました。

Kanan 4月のリリースということで、新社会人や新しい生活を始める方々がたくさんいるので、それぞれが抱える葛藤やストーリーを伝えていきたいなと思って、私の経験に照らし合わせながら歌詞を書いたんです。男女の声が入ることで、群像的な印象を持たせることができたのかなと思います。

森山 僕が歌う前提で作った曲ではないので、僕が歌うこともアレンジの一つだったかもしれません。

――森山さんは東京藝大で専攻していたのはポップスとは違うジャンルだったそうですが、monjeの音楽と共通する部分もあるのでしょうか。

森山 大学では「音響彫刻」という、音を立体作品として使うことを研究していました。音楽的ではない音の使い方を模索していたんですが、僕はアレンジする際に全体的に見てどうこうよりは、その瞬間瞬間に何が鳴っているのが一番美しいのかを大切にしていて。ある種、彫刻的な見方という意味では、すごく共通しています。

――ここからはmonje結成までのお話をお聞きしたいんですが、お二人とも大学に入る前はミュージシャンになろうという気持ちがなかったんですよね。

森山 考えてなかったですね。

Kanan 全くなかったです。しかも私は美術学部と学部も音楽系ではなかったので、ちょっと歌が上手いお姉さんみたいな感じでした。

森山 そんなに卑下することはない。歌うために生まれてきた人だよ(笑)。

――どうして東京藝大を選んだんですか。

森山 僕の場合は決めるのが遅くて、高校3年生の5月ぐらいにググっていたら音楽環境創造科というのを見つけて、「これだ!」と思ったんです。それまでは春休みに短期でアメリカ留学をしていたのもあって、語学系の大学を視野に入れていました。

――もともと音楽制作をしていたんですよね。

森山 制作と言っても遊び程度ですけどね。昔からもの作りが好きで、新しいものも好きだからコンピューターも早くから触れていて、さらにピアノをやっていたから音楽的な傾向もあって。この三拍子が揃ったことで、東京藝大を選んだんです。

――Kananさんは別の大学から藝大に転入したんですよね。

Kanan 私は高校時代に一年間、交換留学でブラジル留学をしていて、高3の夏に帰ってきました。私も森山と一緒で語学系の大学に進学しようと考えて、そのときに一番興味のあったスペイン語を学ぶために、スペインの国立大に行って、西洋美術史を学んでいました。いわゆる古典美術で、古代ローマ美術や宗教画などを歴史として学んでいたんですが、ずっと心の中にもの作りをしたいという気持ちがあって。そんなときにスペインでちょっとした挫折があって、日本の友達に電話をして悩みを聞いてもらっていたときに、藝大を勧められたんです。それで一時帰国したときに、スペインの大学に籍を置いたまま、受験して合格しました。

――学部では、どんなことを学んでいたんですか。

Kanan 彫刻や油絵など一つのことを専攻するのではなく、写真や舞台も学べるなどリベラルアーツ的な学科があって、そこを選びました。美術を学ぶほうから作り手側に転身したんです。