みんなで頑張ろうという一体感があって、誰もがフェアな現場だった

――山本さんが主演を務めた『走れない人の走り方』は、蘇鈺淳(スー・ユチュン)監督が通っていた東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作作品で、監督にとって初の長編映画になりますが、どういう経緯で出演が決まったのでしょうか。

山本奈衣瑠(以下、山本) 蘇鈺淳監督とは『鏡』という短編映画で初めて一緒にお仕事したんですが、そのときに「長編映画を撮るのも決まっているから一緒にやりたい」って声をかけてくれていたんです。どちらの作品も2022年に撮影したんですが、その一年間はずっと一緒にいた感覚です。

――スタッフも東京藝大の方々なんですか?

山本 そうです。藝大の作品に出ること自体が初めての経験で、拝見したこともなかったので、どんな感じなんだろうと思っていたんですが、現場に行ったら、カメラ、照明、美術、脚本、プロデューサーなど、それぞれ専門領域を学んでいる人たちが揃っていて、個々でプロの現場に出ている方もいたので、すごく撮影もスムーズでした。

――初めて脚本を読んだときの印象はいかがでしたか。

山本 監督にとって藝大の修了制作で、支える子たちもみんな同期、そういう状態だからこそできる話だなと思いました。何本も長編映画を撮ったことのある監督では作れないようなピュアさがあって、自分のやりたいことが爆発している感じが面白くて。初めての長編映画を仲間たちでやるんだから素敵なものであってほしいし、個人的に応援したい気持ちもあって、そこに参加させてもらえるのは楽しみでした。

――山本さんが演じるのはロードムービーを撮るために奮闘する映画監督の小島桐子ですが、一生懸命であるがゆえに不器用なところもあって、映画づくりは難航を極めます。

山本 私自身、物事を上手く進められるタイプじゃないし、要領悪いチャンピオンが集まったら上位に入る自信があるぐらいで。頑張っているからこそ、上手くいかない、その走り方も分かるなと思っていたんです。そしたら先ほど監督から「桐子は奈衣瑠の当て書きだったんだよ」と聞いて、「えー!」って(笑)。撮影のときは、自分に似ているから演じやすいとかではなくて、走れないけど映画を撮るためにがむしゃらに頑張っている人として、カメラの前に立つということを一生懸命やっていたら、自然と桐子の走り方になっているという役との向き合い方でした。

――セリフも立ち居振る舞いも自然で生々しいなと感じたのですが、アドリブ的な要素はあったのでしょうか。

山本 セリフは基本的に台本通りです。脚本づくりの段階から、監督に見せてもらう機会があったし、特に気になるところはなかったと記憶しているんですけど、思ったことは言えるぐらいの関係性だったから、不自然なところはなかったです。目線や動作に関しては、全て自分の感覚でやりました。特に監督から指示もなく、伸び伸びと、やりたいようにやってくださいと任せてくれました。

――それが生々しさに繋がっていたのかもしれませんね。

山本 段取りっぽくならないように自然に生まれるもの、私自身から生まれる面白いところを監督が切り取ってくれていたからかもしれません。

――しっかりと間を取って喋るシーンも多いですが、一般的な商業映画だったら、かなり勇気のいることだと思いました。

山本 なるほど。日常を生きていたら、親しい人と一緒にいて無言の時間があるのって普通じゃないですか。私の場合、演じているときに撮られている感覚が希薄ですし、そもそもそういうことを意識してやるタイプではないので、それこそ伸び伸びと、自分のリズムで自分の喋りたいときに喋るみたいな。そういうことが許される空間だったので、やりたいようにやれました。

――桐子が失踪した猫を探しているときに、ふと感情があふれ出すシーンも強烈でした。

山本 ああいう緊張感のあるシーンは、一連で自分のリズムでやらせてもらったんですけど、猫を探すところは公園全面を使って撮影したんです。動きが大きいから、動線を確保するのも大変で、スタッフのみなさんは録音部さんのコードに引っかからないように、ダンスみたいによけていました。入念にリハーサルをして、タイミングなどを計った上で本番だったんですけど、それでも何度かテイクを重ねて。監督は私が感情的にお芝居している姿を見て、「かわいそうだから何度もやらせたくない」と苦しくなったみたいで。それぐらい温かく寄り添ってくれる監督でした。

――現場の雰囲気はいかがでしたか。

山本 みんな映画が大好きで、純粋に映画を撮りたくて集まっている人たち。だから場所や時間、金銭面など、いろいろな制限がある中でも、みんなで頑張ろうという一体感があって、誰もがフェアな現場だなと感じました。

――完成した作品を観た印象は?

山本 なんて面白い映画なんだと。脚本の時点で面白いなと感じていたけど、映画だから許される自由度の高さが随所にあって。その一つひとつが、映像にする意味があって、めちゃくちゃ気に入っています。