ちょっと前まで高校生だった自分に勝手に社会のほうが手のひらを返してきた

――ここからはキャリアについてお伺いします。学生時代はギャルだったそうですね。

山本 めっちゃギャル雑誌を読んでいたし、サブカル臭が1ミリもしない女の子だったと思います。周りにも、そういう子しかいなかったんです。映画を好きな子もいなかったから、学生時代は映画を観る人生ではなかったです。

――時代的にギャル全盛期ではないですよね。

山本 そうですね。ギャルの残り香だけ(笑)。限られたコミュニティで生きてきたから、いろんなものと接する機会も少なかったし、それ以外の選択肢があるよって教えてくれる人もいなかったんです。でも高校を卒業したときに、本当は別の選択肢があるんじゃないかと思って、就職もしなかったし、大学も行かなかったんです。

――思いきった行動に出ましたね。

山本 このまま大人の言うことを聞くのは絶対に違うなと思って、大人が怪しく感じたんです。今まで子ども扱いしてきたくせに、急に大人扱いしてくるじゃないですか。こっちからしたら、ちょっと前まで高校生だったのに勝手に社会のほうが手のひらを返してきて。「レールを外れるのは違う」とか言ってくるのが全然面白くないし、融通が利かないなと。そういう思いは、学校の先生にも直接言ってました。私自身は変わらないのに、周りが勝手に変えようとしてくる雑さがずるいなと。絶対に騙されていると思って、自分のやりたいことをやったほうが人生は楽しいからと、いろんなバイトをしながら、どうにか生活をしていました。

――どういうバイトを経験したんですか。

山本 焼肉屋さんで働いたり、接骨院の受付をやったり、いろいろです。そのタイミングでギャル以外のファッション誌に出会って、ギャル以外のカルチャーがこの世に存在していることを知ったんです。それで急に古着なんかを着るようになって、当時は今よりもファッションが明確に分かれていたから、ギャルの友達からはいろいろ言われたんですけど、別に関係ないし、好きなことをやっていくしと思っていました。

――モデルデビューが『Zipper』だったそうですが、ギャルとは逆のベクトルですよね。

山本 地元の子たちは、高校時代と同じコミュニティの中で楽しんでいたし、それはそれで素敵だなと思います。もちろん、そこに居続けてもいいし、そこから出てもいい。でも地元のコミュニティが狭すぎて、いろんなところに行く人が少なかったんですよ。だから私のように外に出ると、びっくりされるんです。外に出てみたら、それまで自分が接したことのないものに接する機会がたくさんあって、ちゃんと自分で選択していかないといけないんだと思って。モデルを始めたのは、街を歩いていたら声をかけられたのがきっかけなんですが、外に出たことで初めて、自分が被写体になることが職業として成り立つんだということを知ったんですよね。それでモデル事務所に所属しました。

――それまでモデルに興味はなかったんですか。

山本 いろいろなファッション誌は読んでいましたけど、声をかけられるまでは、出る側になろうとは考えたこともなかったです。それまでの私はバイト先で全然上手くいかなくて、いつも怒られてばかり。できないことが多くて、「自分駄目だな……」って落ち込む部分が、こっちの業界だと許されたんですよね。そんな職業が、この世に存在しているんだと知って、自分でも何かできるんだと思ったのが、モデルに興味を持つ始まりでした。モデルになりたいと思ったというよりは、この職業だったら自分のままでも肯定されるんだと知って、やり続けたんです。

――モデルという仕事が合っている感覚は最初からあったんですか。

山本 あったと思います。というのも学生時代は痩せ型体型がコンプレックスで、ルッキズム的なことを言われるのが、めちゃくちゃ嫌だったんです。しかもお金がないから、自分のファッションを心から楽しめない。でもモデルとして声をかけられるようになったときに、初めて人に認められたという感覚があって、自分自身を生きて平気なんだと感じたんです。

――モデル事務所にはどれぐらい所属していたんですか。

山本 5,6年ぐらいですかね。その後、フリーになるんですが、そのタイミングで文章を書いたり、友達とZINEを作ったりしていたので、意外と一人でもいけるなと思って。居心地の良いモデル事務所だったんですが、属しているからこそ逃しているチャンスがあるとしたら、すごくもったいないなと。自分の中では何でも挑戦する準備ができているのに、それが許されない理由があるとしたら、人生にとって必要ないなと思って。それで行先も決めずに、一人で動き出したんです。自分自身でマネジメントすることの大変さも知って、事務所のありがたみも分かりましたし、いろいろ勉強になりました。