原作を読んだときに鈴木俊哉を演じることの責任重大さを感じた

――金曜ドラマ『笑うマトリョーシカ』のオファーがあったときのお気持ちはいかがでしたか。

西山潤(以下、西山) 90年代後半の高校生を演じる共演者が田辺桃子(三好美和子/本名・真中亜里沙)、青木柚(学生時代の清家一郎)、濱尾ノリタカ(学生時代の佐々木光一)と聞いたとき、僕の大好きな役者ばかりでうれしかったですし、「やってやろう!」という気持ちでいっぱいでした。中でも同じ事務所の田辺桃子は、僕の中で尊敬する俳優であり、ライバルでもありましたので、僕が演じる鈴木俊哉と美和子の二人がにらみ合うシーンの撮影では、「先に目を逸らすものか」と鈴木なのか西山潤なのか分からないぐらいの気持ちで演じておりました。

――大人の鈴木を演じるのは玉山鉄二さんです。

西山 玉山さんが出演した作品はたくさん観させていただいていますが、自分に似ているなと思うことはなかったですし、似ていると言われたこともありませんでした。ただクランクインしてみたら、似ているかもしれないと感じることもありましたし、第一話の放送後に視聴者から顔と声が似ているという感想もいただいてホッとしました。一つの役を通して、西山潤という役者と玉山鉄二さんという役者が似ていると言われるのはうれしかったです。

――役作りの上で玉山さんとお話しする機会はあったんですか。

西山 クランクイン前に一度、顔合わせという形で役のすり合わせをさせていただきました。そのときに玉山さんは、清家に対するリアクションは統一したいと仰っていました。そのため、現場見学に行かせていただいて、執務室のシーンで玉山さんと櫻井翔さんが喋っているところなどを観させていただいたんです。玉山さんの癖を全て真似する訳ではないですが、動きなどをインプットしようと思いました。

――西山さんは子役としてキャリアをスタートしているので、過去には回想シーンで幼少期などを演じる機会も多かったですが、今回のように同じ役を演じる俳優さんの芝居を見学することはあったんですか。

西山 今回が初めてでした。そもそも回想シーンをやること自体が久々でしたし、自分と同じ役を演じる人を見るという役へのアプローチは初めてで楽しかったです。玉山さんのお芝居を目の前で見て、自分が思い描いていた鈴木と解釈が一致したなと感じた瞬間は、安心感とうれしさがありました。

――どういうところが同じ解釈だと感じたのでしょうか。

西山 回を重ねるごとに鈴木の過去が暴かれていきます。彼には悲しい過去があって、代議士から秘書になってという理由が分かってきて、どうして清家をコントロールしているように見えるのか、そこに清家の母親・浩子(高岡早紀)が絡んできてという経緯を見ると、意外と人間らしくて、そこが魅力的に感じられます。現場見学に行ったときに、玉山さんも、そこの解釈は一緒だねと仰っていました。

――早見和真さんの原作はどのタイミングで読まれましたか。

西山 今回のお話しをいただいた日に原作を買って、1日で読み終えました。良い意味で、すごく後味の悪い作品で、清家の不気味さ、鈴木の人間らしさに引き込まれました。大事なところに付箋を貼っていたんですが、途中から貼り忘れちゃうぐらい夢中になって一気読みをしてしまいました(笑)。原作はドラマと違って、鈴木俊哉の過去が半分以上を占めていて責任重大だなと感じました。

――原作と脚本の大きな違いは?

西山 原作は鈴木と清家が主人公で、二人の気持ちベースでお話が進んでいきますが、ドラマは水川あさみさん演じる道上香苗が主人公なので、視聴者と道上が同じ目線で事件を追いかけて考察をしていくという構成です。道上がどんどん過去を紐解いていって、全11回のドラマで11個のマトリョーシカを開けるところが面白いですね。

――青木柚さんと濱尾ノリタカさんの印象はいかがでしたか。

西山 青木は共通の知り合いもいるんですが、勝手に飄々としたイメージを抱いていたんです。ところが実際に会ってみると、すごく熱量がありながらユーモアもあって。お互いに子役からお芝居をやっているので、共通項もありましたし、初めて会った瞬間からお互いに旧知の仲みたいな距離感で仲良くなりました。濱尾もコミュニケーション能力が高いので、初回の撮影日の終わりに3人でご飯に行きました。それから毎回撮影の度にご飯に行ってます。

――二十代半ばで高校生役を演じることについてはいかがですか。

西山 「大丈夫かな……」という気持ちはありました。7月12日で26歳になったんですが、高校生どころか中学3年生のシーンも撮ったんです。なかなか難しかったんですが、髪型、衣装、演出の力を借りて何とか成立したのかなと(笑)。

――鈴木は学生時代から老成したところがありますしね。

西山 大人びていますよね。人間は失敗や悲しみを経験して強くなると思っていて、それを鈴木にも感じます。だからこそ変に若くしようというつもりは一切なくて、制服という最強の力を借りて、素直に鈴木らしく生きていたら、きっと高校生に見えるんじゃないかと思いました。