M-1グランプリのときはM-1グランプリのためにやっていて、お客さんのためにやっていなかった

──お二人にとってのターニングポイントは何だったのでしょうか。

安部 一番のターニングポイントは、映画にも描かれていますが、トリオになりかけたけどギリギリでやめたことです。タモンズのことは、ずっと彼(大波)が表立って舵を握ってくれていたんですが、そこで初めて僕が「トリオになりたくない」という意見を通したんです。僕の中で腹を括ったというか、彼の才能にベットしようという気持ちになったんです。

大波 僕も同じ時期です。M-1グランプリ卒業まで、あと2年やったんですよね。そのときには僕らも地に落ちていたんで、そっから2年で決勝行って優勝するっていうのは0パーに近い肌感でした。でも0.0何パーにかけようってなって、もう1回向き合って、大宮セブンのメンバーだけじゃなくて、今現役でM-1グランプリを戦っている後輩にも「力を貸してくれ」って声をかけて、なりふり構わずネタをやったんです。

安部 僕らだけやと、お客さんが集まらない状態になってたんで、現役バリバリでM-1グランプリやってるようなゆにばーすや田畑藤本に「一緒にライブやってくれ」って頼み込んでやってもらっていました。

大波 そこでもう1回二人で向き合ってネタを作って、結局間に合わなかったんですね。できるだけ上げたんですけど準々決勝とかで負けちゃって、最後のときは3回戦か。

安部 うん。

大波 でも、それまでは2回戦とかで落ちてたので、ウケも全然変わって、いいネタができたなっていう気持ちはあったんです。ただライブにお客さんを呼びきれず、頑張ったんですけど負けちゃって。でも僕ん中では、いい漫才やったし、負けてないなっていうのがあって。でも人が選ぶことなんでしょうがない。ここからどうしようかなってなったけど、持ってる漫才が良くなった実感があったんで、目標はないけど単独ライブをやっていこうという話になって、単独ライブをやってたんですね。クラウドファンディングみたいのもあるって知ったので、じゃあ全国ツアーをやろう。単独ライブで食べていける芸人を目指そうって言って、全国ツアーお金集めてやろうってやってたときに、たまたま「THE SECOND」ができたんです。

──なるほど

大波 あ、賞レースできたなって。

安部 もう1回売れるチャンスが来たっていうね。

大波 で、やったら、ネタはM-1グランプリのときからすごい良くなってきて、漫才自体もM-1グランプリっていう呪縛から解放されて(笑)。いい感じになってきてたので、決勝に行けたっていう。

──M-1グランプリの呪縛から解放されることで、どんな変化があったんですか。

大波 単純にネタを4分でやらなくていいから自由ですね。

安部 普段の漫才の中で、事前に決めないで出ることが多くなりました。ある程度、筋は決まってるんだけど、お互い好きなときにアドリブを入れましょうみたいなノリになってたんです。そしたらだんだん漫才も僕ららしくなってきたんですよね。

大波 M-1グランプリってルールブックは全くないんですけど、芸人の中で暗黙のルールみたいなのが勝手にあって。歌ネタは駄目とか、固有名詞は駄目とか、下ネタは駄目とか、誰かと設定がかぶってたら駄目とか。別に言われたわけじゃないのに、誰かが「あかんらしいで」とか言い出すんですよ。だから「落ちたんちゃうん?」みたいな。その影響で、それが面白いと思っても、どんどん切っていくんですよね。でもM-1グランプリが終わったら、別にウケればいいんで。

──「THE SECOND」以降、お客さんの反応も変わりましたか。

大波 全国にお客さんが増えました。見てて楽しいって伝わる人数が増えたかなと思いますね。M-1グランプリのときってM-1グランプリのためにやってたんで、お客さんのためにやってなかったんですよね。

安部 やってなかったですね……。

大波 お客さんがどう思うかを一切考えてなかったんですよ。M-1グランプリの審査員がどう喜ぶかどうか。それって本末転倒ですよね(笑)。

安部 かなり漫才自体も柔らかくなったと思います。「THE SECOND」で勝ち抜くに従い、ノリでやってたところを、ちゃんと形にしようみたいな作り方になったので。