十代の頃は同世代の俳優に学ぶことが多かった
――学生時代のお話をお伺いします。昔から人前に出ることに抵抗感はないほうでしたか?
入江甚儀(以下、入江) どんな役割なのか理解もしていないのに進んで生徒会長をやったり、校内の演劇発表会で自分から手を挙げて「主役やりたい!」と立候補したり、昔から人前に出るのは好きでしたね。
――小さい頃から運動も得意だったそうですね。
入江 3歳から11歳まで空手、それと並行して小学3年生から中学3年生までバスケをやっていました。空手の記憶はほとんどないんですけど「型」も「組手」もやっていて。帯の色は型の善し悪しで変わってくるのですが、僕は型が下手くそで、8年間も空手をやっていたのに、白帯の次の緑帯止まりでした。ただ親父が格闘技番組を見るのが好きで、やたらと組手の練習をさせられたんです。そのおかげもあって組手で市の大会に出場して、5連続で優勝できました。相手からしたら「緑帯だから弱いと思っていたのに、話が違うじゃないか」と思ったでしょうね(笑)。
――帯の色で相手を油断させていたかもしれませんね(笑)。俳優の仕事に興味を持ったきかっけは何だったんですか?
入江 神木隆之介くんや志田未来さんなど、僕と同じ年齢の役者さんは子役からやられている方が多くて、その活躍をテレビで見ているうちに、やってみたいなと思い始めたのがきっかけでした。小学校の卒業文集に将来の夢を書いたときも、俳優ではないですけど、「有名人になる」と書いていました。
――入江さんも、この世界に入ったのは早いほうですよね。
入江 中学2年生です。千葉に住んでいたので、事務所のオーディションがあるたびに東京に通う時期が1年ぐらいあって。最終的に幾つかの事務所から声をかけていただいたんですけど、父がミーハーなタイプなので「歴史のある研音がいいよ」と決めてくれました(笑)。
――事務所入りしてすぐにドラマ『絶対彼氏〜完全無欠の恋人ロボット〜』のレギュラー出演が決まります。
入江 ありがたいことに、早くからチャンスをいただきましたが、それに応えられなくて、かなり打ちのめされました。恵まれた環境ではあったんですけど、サッカー経験がないのに、いきなりJリーグの試合に出されるようなもので。今までテレビで見ていた人たちが急に目の前に現れて、お芝居どころじゃないし、そのお芝居もまともにできないし……現実を突きつけられました。
――いつぐらいから思うようなお芝居をできるようになりましたか。
入江 常に挑戦するという意味で、あまり「できるぞ」という確定要素を自分の中に持ちたくはないんですけど、足がかりを掴めてきたなと感じたのは高校生の頃です。デビュー当時は目上の方とのお仕事が多かったんですけど、16、17歳ぐらいで学園物の作品に出演して同世代の俳優と共演したときに、彼らがどういう心持ちで役者をやっているのかを知ることができたのが大きかったんですよね。
――演技についてアドバイスをもらうこともあったんですか。
入江 具体的な話をしていた訳ではありませんが、同世代と共演すると、「こんな映画を見てきた」みたいな会話が溢れているんです。でも自分は何も知らなくて、そうやって積極的に映画を見ている人って説得力のあるお芝居をするなと思ったんです。そこから僕も意識的に映画を見るようになって、自分はどういう作品が好きで、どういう役者さんのお芝居が好きなのかが明確になって、そのぐらいからお芝居を好きになりました。
――同世代の俳優にライバル意識はありましたか?
入江 同世代に学ばせてもらうことのほうが多かったですし、嫉妬もできるレベルではなかったので、尊敬する気持ちのほうが大きかったですね。