クラシックバレエの経験が立ち居振る舞いやアクションに活きている
――学生時代はクラシックバレエ一色だったそうですね。
奥野 3歳で始めて、高校1年生まで続けたんですが、本気で打ち込んでいました。
――どのぐらいのペースでレッスンに通っていたんですか。
奥野 週6、7回はレッスンだったので、ほぼ毎日。実家から片道1時間半かけてレッスン場に通って、月1で東京に来てレッスンを受けていました。思い返すと、我ながらよくやっていたなと思います。
――大阪と東京ではレベルが違ったんですか?
奥野 僕は歴史のある東京バレエ団にいたので、全然レベルが違いました。大阪で通っていたところもレベルの高いところだったんですが、東京バレエ団に入団するには、まず研究生になるためのオーディションがありますからね。東京バレエ団は、将来バレエで飯を食べていこうという子ばかり集まるので、おのずとレベルは高くなります。僕はそこで挫折しちゃったんです。
――男性の割合はどれぐらいだったんですか。
奥野 1クラスに男性が一人いたら多いぐらいですね。でも東京バレエ団は、男性しかいないクラスがあったんです。それまで女の子に囲まれてやってきたので、その環境も楽しかったです。
――どうして、そこまで打ち込めたのでしょうか。
奥野 後半は辛さもあったから辞めたんですけど、それまで続けてこられたのは、やっぱり踊ることが楽しかったり、難しい技ができたときの達成感だったり。あと僕はバレエが上手だったので、褒められるのがうれしかったんです(笑)。舞台を観るのも好きで、熊川哲也さんに憧れていたのも大きかったです。
――どうして挫折したのでしょうか。
奥野 日本には男性のバレエダンサーって数千人しかいないので希少価値があって、それで飯を食べていくのは難しくないんです。でも僕がなりたかったのは熊川哲也さんみたいに、世界でも通用するバレエダンサーだったので、そこまでなれないなと自分で勝手に思っちゃって挫折しました。
――バレエの経験は俳優業にも活かされていますか。
奥野 たとえば今回出演したドラマ「女子高生、僧になる。」でお坊さん役を演じさせていただきましたが、すっと真っ直ぐ立つだけでも意外と難しかったりするんです。それを意識せずに自然とできるのは、バレエをやっていたおかげですね。体を動かすことに長けている自信があるので、アクションも得意ですし、先日もドラマで乗馬をやったら、すぐに乗ることができました。言われたことを実現する能力はあるほうだと思うんですけど、それもバレエをやっていたからだと思います。
――どうして、そういう能力が高いのでしょうか。
奥野 ダンスをやっている人は分かると思うんですけど、どうやって動かせば、どう動くかという、自分の体の動きを理解しているのが一番大事なことで。それはアクションにも通じるんですよね。普段から何の気なしにアクションをやっている俳優さんでも、自分がどう動いているかを客観視できる目を持っている方は少ないと思うんです。すごく運動神経が良い俳優さんでも、ダンスやアクションは苦手な方もいますし。自分の体の稼働範囲まで正確に理解しているのはダンサーならではのポテンシャルかなと思います。
――長く打ち込んでいたクラシックバレエを辞めて、ロスみたいなものはなかったんですか。
奥野 次に何かをやりたくて辞めた訳じゃないので、辞めた瞬間にやることがなくなって1年間ぐらいボーっとしていました。そんな僕を見兼ねた父が、「第30回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」に勝手に応募したんです。それぐらい体たらくな生活をしていたので、この仕事に救われました。
――どうしてお父さんは勝手に応募したんですか?
奥野 どうやら僕が小学生のときに、芸能界に入りたいと言っていたらしくて、それを覚えていたみたいなんですよ。僕も負けず嫌いな性格だから、「コンテストなんて余裕でしょ」みたいな気持ちで面接会場に行ったら、イケメンがいっぱいいて。「こいつらには負けたくない!」と思って、真剣に臨むことにしたんです。芸能の仕事でやっていきたいからではなく、誰にも負けたくないからという(笑)。今も同世代の俳優たちには負けたくない気持ちは強いですし、それが原動力になっていますね。
――俳優デビュー作の「仮面ライダージオウ」で、いきなり主演に抜擢されますが、お芝居はいかがでしたか?
奥野 今お話した通り、体を動かすことに長けているという自負はある。仮面ライダーも初めてのオーディションで受かったし、お芝居もできると思い込んでいたんです。今考えると、めちゃくちゃ恥ずかしい話ですが、絶対にできると思って現場に入ったんですが、第1話が放送されたときに、「どうして、こんなに自分の思い描いていたお芝居とは全然違うんだろう……」と絶望しました(笑)。すごく悔しかったのを覚えていますね。