アナウンサーを目指すきっかけは紅白歌合戦と高校野球
――新年度に入りましたが、坂口さんはどのように4月を迎えましたか?
坂口愛美(以下、坂口) この4月から担当番組が変わったり、生活ペースが変わったりしたので、特に最初の1週間はなかなか慣れなくて…。この時期は各地でフレッシュマンの姿を見かけますが、私も久しぶりにフレッシュマンに戻ったような新鮮な気持ちで迎えました。

――今回はせっかくのロングインタビューなので、アナウンサーを目指したきっかけや坂口さんのこれまでのストーリーも聞かせてください。早速ですが、幼少期のお話から。小さい頃からお喋りが好きなタイプだったのですか?
坂口 家ではとてもお喋りな子どもでした。小学校低学年の頃から、自分が喋ったオリジナル番組をラジカセに録音するような子どもで、両親にインタビューしながら録音するという遊びが好きだったんです。家ではそんな感じでしたが、外では物静かというか、結構人見知りをするタイプでした。
――そのアナウンサーごっこはどのようなきっかけで始まったのでしょうか?
坂口 小さい時から『NHK紅白歌合戦』が大好きで、正座して見るくらい夢中で見ていたのですが、当時司会をされていた久保純子さんや有働由美子さんのまねごとをしたのが最初だったと思います。
――その頃から将来の夢はアナウンサーだったのですか?
坂口 小学校の卒業文集にはアナウンサーではなく、「お笑いもできる女優」と書きました(笑)。『家政婦は見た!』の市原悦子さんが大好きで、紅白でも演歌が好きだったので、基本渋めの子どもだったと思います。お笑いについては、関西だったので『よしもと新喜劇』を見て育ったという感じです。
――習い事や部活は何をしていましたか?
坂口 母がピアノの先生なので、3歳からずっとピアノを習っていました。一応、絶対音感があるんです。あとは、バレエを習ったり、地元の市民ミュージカルに出演したりもしていました。部活は中学でバトントワリング部、高校ではダンス部に入りました。体を動かしたり、人前で何かを表現したりすることは総じて好きな子どもでしたね。
――明確にアナウンサーを目指そうと思ったのはいつ頃からですか?
坂口 高校生の時に、地元の奈良テレビで高校野球の奈良県大会のスタンドリポートをする女子高生リポーターを募集していたんです。正直その時は野球にまったく興味がなかったのですが、喋ることは好きでしたし、生徒会をやっていたこともあって、先生の勧めで応募してやることになりました。実際にやってみたら、人にインタビューをして、自分だけが聞き出せたことを自分の言葉で分かりやすく伝えるということがこんなにも楽しいことなのかと感じたと同時に、とにかく高校野球って面白いなと思ったんですよね。そういう自分が知らなかった世界で情熱をかけて頑張っている人の話を聞いて、その思い伝える仕事がしたいなと思い、アナウンサーを目指すようになりました。

――そして、最初にアナウンサーとして入社されたが愛媛朝日テレビだったのですね?
坂口 愛媛朝日テレビでは8年間アナウンサーをしていたのですが、愛媛に入ったきっかけも高校野球に携わりたいという思いからです。甲子園球場でアルプスリポートをすることが最初の夢だったので、テレビ朝日系列のアナウンサー試験を重点的に受けました。愛媛朝日テレビは全国でも特に高校野球に熱い局で、1回戦から生中継するというテレ朝系列でも数少ない局だったので、自分にはとても合っていたなと思っていますし、実際に入社 1年目からずっと高校野球の仕事をさせてもらいました。
――その後、甲子園でのリポートの夢は叶ったのですか?
坂口 基本的には甲子園のアルプスリポートはテレ朝とABC のアナウンサーが担当するのですが、8年目の時に人数が足りないから応援を出してくれと言われて、愛媛から私が行かせてもらうことになり、夢が叶いました。2週間ほど甲子園で過ごして、全国各地の高校のリポートをやらせていただいた時に本当に大きな夢が叶ったな、ひとつやり遂げることができたなと思ったのがアナウンサー人生のひとつの節目というか、転機にもなりました。
――そこから文化放送に転職されたきっかけは何だったのでしょうか?
坂口 次に叶えたい夢として、東京オリンピックの時に東京でアナウンサーをしていたいなという願望があったのと、テレビ局のアナウンサーになってから、いつかはラジオもやってみたいなという思いが芽生え始めていて、ちょうどそのタイミングで文化放送のアナウンサー募集があったので、転職が決まり上京してきました。
