高校3年生のときにアメリカ留学帰りのダンス仲間に衝撃を受ける
――ダンスを始めたきっかけを教えてください。
NOPPO 3つ下の妹が先にダンスを始めていて、僕はシャイなほうだったので踊ることに抵抗があったんです。ただ、我が家では習い事を一つやるというルールがあって、僕は算数の塾に通っていたんですけど、ちょっと嫌だなと思って(笑)。それで小学4年生のときにダンスをやり始めました。ダンスを選んだきっかけは、妹の通っていたダンススクールを見学したら、女の子ばかりだったんですけど一人だけ男の子がいて。その男の子がいるなら楽しそうだなと思ったんです。
――すぐにダンスの面白さは感じたんですか。
NOPPO そうですね。意外と小さい頃から器用なほうで、褒められているうちに楽しくなっていって、早い段階から、いろいろな大会で優勝して、アメリカにも行ったりしました。当時から「将来は海外で勉強する」みたいなことも言ってましたし、小学生の頃は友達と遊んだ記憶がないぐらい、ずっとダンスに没頭していたんです。でも、それで疲れてしまって、中学の3年間はお休みしていました。
――完全にダンスをやめていたんですか?
NOPPO 年に1度、「DANCE@LIVE(ダンスアライブ)」という大会に出ていたので、それに向けての練習はしていたんですけど、スクールには顔を出す程度で、ダンスとは距離を置いていました。でも高校生になって、先ほどお話に出たスクールの男の子がダンスでアメリカ修行に行ったんですよ。僕が高校3年生のときに修行から帰ってきて、衝撃的なほどかっこよいダンスをやっていたんです。「これはなんだ!?」「俺もアメリカに行きたい!」となって、それを機にダンス熱が再燃しました。
――どうして「DANCE@LIVE」には出ていたんですか?
NOPPO 全国から100組以上のダンサーが集まる大会なんですけど、中学生の部があって、その中にはs**t kingzのメンバーのkazukiも出ていたんです。当時からkazukiとは親交があって、ハウスというジャンルで誘ってもらったんですけど、やっぱり大会はドキドキするし、そのためにたくさん練習するし、すごく思い出に残っています。あと当時のハウスって、今でこそやる人は多いんですけど、僕らの年代ではやっている人が少なくて、数えるぐらいしかエントリーする人がいなかったんです。だからこそ、その人たちと競えるのも楽しかったです。
――ダンス熱が再燃したときに、ブランクは感じなかったのでしょうか。
NOPPO その間、バスケ部に入っていましたし、他にもいろいろスポーツをやっていたので、体力的なブランクはなくて、ダンス自体もそんなに鈍っている感覚はなかったですね。
――海外留学から帰って来た男の子のダンスは何が違ったのでしょうか。
NOPPO 当時の日本はストリートダンスが中心で、音楽のジャンルもほぼ決まっていましたし、ビートに合わせるのが普通でした。ところが海外はヒップホップが主流になっていたのもあって、ビートだけじゃなくリリックにハメたりするし、そのハメ方もジャンルにとらわれないでジャズもポップも入ってと、ごちゃまぜで、しぐさもかっこいい。パフォーマンスというよりも、エンターテイメントなんですよね。それまでは、この振り付けを極めなきゃいけない、とにかくダンスダンスという考え方に縛られていたんですけど、そうじゃない部分を活かしたパフォーマンスに衝撃を受けました。
――それまでNOPPOさんはハウス一色だったんですか?
NOPPO 小学生のときはロックダンスをやっていて、そこからハウスでした。極めるとかではないですけど、気長に6年間やっていたという感じです。でも海外のダンスに衝撃を受けてからヒップホップを始めて、その男の子と一緒にロサンゼルスに行って、同じスタジオに通いました。約2週間という短い期間ではあったんですけど、いっぱいレッスンを受けて、吸収して帰国して。当時はYouTubeもなかったので、僕がアメリカで何を学んできたのかダンス仲間も興味津々で。みんなにとっても未知のものだったので、僕と同じように衝撃を与えられたと思います。
――ダンスで海外に行くことに家族も賛成だったんですか?
NOPPO もともとダンスに理解があったので、「行ってきなー」と軽い感じでした(笑)。資金も親が建築業をやっていたので、親の元でバイトをしてお金を貯めて、「アメリカに行かせてください!」と。そのときは恐れや不安よりも、アメリカでダンスを習いたいという一心でしたね。