今でもEspeciaという集まる場所があるのは、すごく幸せなこと

――昨年6月18日に大阪のライブハウスでEspecia結成10周年イベント「Especia es una Familia~10º aniversario~」を開催、Especiaが一夜限りの復活を遂げました。

HALLCA 5人体制の頃のメンバーが集まったんですけど、全員が集まるのは久しぶりで。個々ではちょこちょこ会っているんですけど、私ともな(脇田もなり)以外はお母さんだから、みんなで集まるのが難しくて。それに拠点も私ともなが東京で、あとは大阪。だからライブは同窓会でしたね。今でも集まる場所があるっていうのは、すごく幸せなことだなと実感しました。

――チケットを取ろうとしたら、あっという間に売り切れていて、今でも根強い人気があるんだなと。

HALLCA え!?観に行こうと思ってくれたんですか?私たち自身、そこまで売れると思っていなくて。555人の応募があったらしくて、でもキャパが100人ぐらいで、全然足りない、みたいな。うれしかったですけど申し訳なかったです。

――練習はどうしたんですか?

HALLCA 私ともなが東京で動画を撮って、それを大阪のメンバーに送って、ダンスの練習をしてもらって。ただ、ちか(三ノ宮ちか)とちい(三瀬ちひろ)は出産したばかりで椅子に座ってのパフォーマンスだったので、えりか(森絵莉加)に頑張ってもらいました。

――今年は、2014年にリリースした1stアルバム『GUSTO』が2枚組LPとして初アナログ化されましたが、Especiaも再評価されていますよね。

HALLCA ありがたいことですよね。よく「早過ぎた」と言ってもらえるんですけど、当時と同じことを今やっても違うのかなと思うんです。あの時代に早過ぎたって言われるぐらい高い音楽性のことをやっていて、パッと解散したからこそ、惜しい存在だなと思ってもらえるのかなと思ったりもします。

――Especiaと同時期に活躍していたアイドルグループの大半は解散しました。

HALLCA 当時、対バンなどをしていて、今も活動されているのは先輩のNegiccoさんぐらいだと思います。まだ活動している方も多いですけど、私のようにソロだったり、新しくアイドルグループを組んだり。

――でもHALLCAさんや脇田さんのように、アイドルではなく、ソロアーティストとして高い評価を受けて、今も現役で活動している人は少ないです。

HALLCA もなとも「ありがたいよね」って話をします。

――ソロ活動を始めるとき、長いスパンで考えていたんですか。

HALLCA 全く考えてなかったですし、まさか30歳になってもやっているとは思っていなかったです。私は未来を想像するのが苦手なので、考えられても来年ぐらいまで(笑)。Especiaの活動期間が4年9ヶ月なんですけど、今年7月でソロ活動が5年を超えたので、私にとっては未知の領域です。

――先ほどコロナ禍に負けたくなかったと仰っていましたが、長く続けられるモチベーションって何でしょうか。

HALLCA 日常生活で大変なことや嫌な思いをすることってたくさんありますし、いろんな問題に直面もします。そんなとき、エンタメに触れたり、音楽を聴いたりすることによって、直接問題は解決できないにせよ、頑張ろうと思える力があるなと感じるんです。私自身、ライブをしているときは、いろんなことを忘れられて、音の中で揺られているみたいな感覚があります。私の1stアルバムは『VILLA』というタイトルなんですけど、“別荘”という意味で。そのタイトルには、「HALLCAの音楽は別荘のようなもので、現実とは違う夢の中」みたいな思いを込めているんです。だからVILLAにいるときのような気持で聴いてもらって、癒されたり、頑張ろうと思ってもらえたらうれしいなと。HALLCAというプロジェクト自体が解散することはないですし、別荘のようにいつでも帰れる場所で、人生とともに歩んで行きたいなと思っているので、これからもマイペースで歌い続けていきたいですね。