アイドル時代に参加した歌唱力コンテストで「私はやっぱり、演歌だ」と決心

――芸能界デビューのきっかけは、アイドルグループ「演歌女子ルピナス組」(のちの「民族ハッピー組」)への加入でした。

望月 大学時代でした。高校時代もオーディションを受けてはいたんですけど、いざ、事務所の方とお会いしたときに「アイドルがいいんじゃないか」と誘われることが多く、当時は「ダンスは苦手だし、笑顔で愛想よく振る舞えるかな。できなければ、迷惑をかけてしまう」と引け目を感じて、お断りしていたんです…(苦笑)。「演歌女子ルピナス組」はスカウトで、じつは、4年生で企業からの内定を得ていた時期でした。最初は「アイドル」と聞いて引け目を感じていたんですけど、海外でも積極的にライブをしていると知り、企業からの内定をお断りして、芸能界に入りました。

――グループ加入後には、苦労もあったのかと思います。

望月 不安でしたけど、先輩方に優しくサポートしていただいて、ホッとしました。でも、個人的には迷惑もかけてしまったなって。簡単な振り付けすら頭に入れられないほど、ダンスが苦手だったんです。5分程度の曲で、2分程度を覚えるのに8時間以上もかかり「もうダメ」みたいな…。ライブでは、ステージ後ろに置いてある台の上で、上半身の手振りだけで盛り上げるのが役割でした(笑)。

――メンバーの当時、アイドル同士が歌唱力を競うコンテスト「歌うま決定戦」に出場し、最高点を獲得したのがソロ演歌歌手になるきっかけだったと。

望月 歌、ダンス、衣装が採点されるコンテストだったんです。他の子たちがかわいらしく、バリバリ歌って踊るなかで、私は細川たかしさんの『望郷じょんから』を披露しました。衣装は着物で、踊らずに歌い終えたらスーッと舞台からはけて、頂点には立てなかったけど、途中の審査で最高点をいただいたんです。ファンのみなさんにも褒めていただき「私はやっぱり、演歌だ」と決心して、後日、現在も所属するレコード会社の方の前で歌う機会をいただき、2020年7月に『失恋慕情』で、デビューのチャンスをいただきました。

――2021年12月には「第63回 輝く!レコード大賞」で、新人賞も受賞しました。

望月 コロナ禍のまっただなかで、営業が増えるといった影響はなかったんです。でも、私自身に変化があったというより、ファンのみなさんに応援していただいていると証明できたのが大きかったです。CDを売るために皇居周辺で配信しながら12時間歩き、オンラインでCDを売るというキャンペーンもあり、大変な時期だったにも関わらず、熱心に応援してくださる方もいて、素敵な賞をいただいて自信が付きました。

――2022年12月には、グループを卒業。演歌歌手として、独り立ちしました。

望月 アイドル時代は他のメンバーに頼ることが多く、歌やダンスを間違えても「先輩方がいるし、バレないかな…」と甘えもあったんです。でも、卒業後は歌手としての自覚が強くなりました。ステージからは、自分の声だけがダイレクトに届くので「お客さんを飽きさせないように」と意識が変わり、常に「楽しませなければ」と使命感に燃えています。