プロのダンサーになって、大好きだったダンスが嫌いになった

――キャリアについてお伺いします。ダンスを始めたきっかけは何だったんですか。

仲 母が熊本でミュージカルダンサーをやっていたんです。プロになるために上京してオーディションを受けていたんですが、そのときに舞台監督をやっていた父と出会って、私の姉を身ごもったんです。自分の夢は叶えられなかったんですが、姉が7歳、私が5歳のときに、母から「あんたらダンスをやれ」と言われて、ジャズダンスを始めました。当時は外を走りまわるのが好きな子どもだったので、ダンスレッスンが嫌で嫌でしょうがなかったです。後からタップダンスとヒップホップも習い始めたんですが、それも母に言われたからでした。

――自発的にダンスに打ち込むようになったのはいつ頃ですか。

仲 中学1年生のときです。姉は何をやってもできる人で、ダンスも上手くて。「お姉ちゃんに負けたくない!」と思ったとき、本気でダンスと向き合うようになりました。姉は途中で離脱しちゃって、しばらく目標のいない状況が続いたんですが、それでも続けているうちにダンスが楽しくなりました。

――ずっとお母さんも応援してくれていたんですか。

仲 そうですね。ただ高校生になって、5歳のときから通っていたダンススタジオを辞めて、有名な先生方がいるダンススタジオに移ったんです。そこは発表会やダンスイベントが盛んにあって、けっこうお金がかかったんですよ。そしたら、「あんたのダンスのために働いているんじゃないから」と言われて、一時期は応援してくれませんでした(笑)。

――いつ頃からプロのダンサーを目指したんですか。

仲 それが目指していた訳じゃないんです。16歳ぐらいから、「ミュージックビデオに出ない?」みたいな感じでダンサーとしてのお仕事が入るようになって。でも単発だったので、バイトをしながらダンスを続けて。ダンサーになりたいとか、インストラクターになりたいとか、有名になりたいという夢もなかったんですけど、いただけるお仕事を「ありがとうございます」と受けていたら、ダンス一本で生活できるようなって。それで19歳のときに、仲の良いダンサーさんの紹介で、BoAちゃんのバックダンサーをやることになって。それを皮切りに、椎名林檎さんや加藤ミリヤさん、マドンナなど、バックダンサーのお仕事が入ってきました。

――もともと舞台度胸はあるほうでしたか?

仲 昔から人前に出るのは大好きでした。ただ椎名林檎さんと初めてお会いしたときは緊張しました。中学生の頃からファンクラブに入るぐらい大ファンでしたからね。初めてご挨拶するときは、ものすごい近距離だったので、「良い匂いがする!」と感動しながらも、すんとして「はじめまして、仲万美と申します」と(笑)。

――そのままダンサー一本でやっていくという選択肢もあったんですか。

仲 そもそもダンスは、ただただ楽しいから続けていて、その延長線でダンサーになったというか。言葉を選ばないで言うと、全く望んでいなかった世界なので、ストレスもあったんです。ダンサーになる、ダンスで有名になることで母の夢を叶えられて、恩返しはできたんですけど、私としてはダンサー仲間とわちゃわちゃ遊びながら踊るのが好きだったんですよね。

――どういうことがストレスになったんですか?

仲 踊りたくないときに踊らなきゃいけないという状況ですね。それで生活をしていたので当然やらなきゃいけんですけど、そうするとダンスが嫌いになって、ダンスを嫌いな自分のことも嫌になって、それが本当にしんどかったです。

――でも仕事は順調な訳ですよね。

仲 すごく順調でしたけど、どうして自分はダンスをやっているんだろう?生活のため?地位のため?名誉のため?みたいに考えていくと、こんなはずじゃないと。

――メンタルはダンスに影響しなかったんですか。

仲 そこは大丈夫でした。バックダンサーは同じ踊りをするだけなので、テクニックでどうにかなるし、失敗することもないし、ロボットみたいな状態で。自分を解放できないのも、大きな苦しみでしたね。