7年半のアイドル人生を振り返って
――今年は岩田さんにとって、転機の年、挑戦の年だったのではないかと思いますが、振り返ってみて、どんな1年でしたか?
岩田陽菜(以下、岩田) 7年半、メンバーとして活動してきたアイドルグループSTU48を5月に卒業して、そこから1人のタレント岩田陽菜としての活動がスタートしたんですけど、一気に色々なことが変わり過ぎて、本当に濃い1年だったと思っています。自分の中で挑戦してみたかったことにもたくさん挑戦できましたし、今までの人生の中で最も長く感じた1年でもありました。アイドル岩田陽菜としての活動とタレント岩田陽菜としての活動、その両方ができる年は後にも先にも今年しかないので、とても濃く長く感じたのだろうなと思っています。
――まだまだ突っ走っている途中という感覚でしょうか?
岩田 そうですね。今年は卒業に向けてずっと準備をしてきましたし、卒業してからは11月の舞台に向けて突っ走っていかなきゃ…という感覚なので、まだまだ全速力で走っている真っ最中です(笑)。
――ありがとうございます。せっかくのこうしたロングインタビューの機会なので、是非改めて、岩田さんがアイドルを目指したきっかけや憧れていたアイドルについても教えてください。
岩田 私は小さい頃からAKB48さんが大好きで、最初にこういうアイドルになりたい!と思った理想のアイドルは、当時“神7”と呼ばれていた渡辺麻友さんでした。9歳の頃に憧れて、自分もアイドルになりたいと強く思うようになって、12歳の時にAKB48グループの第2回ドラフト会議を受けさせていただいたんです。それが人生で初めてのオーディションでした。そこで、最終審査まで進むことができたんですけど、残念ながら選ばれずに終わってしまって…。でも、AKB48のファンの皆さんの前で歌って踊るという経験ができたことで、もしかしたら次は合格できるかもしれないと思うようになり、ダンスや歌をたくさん練習するようになりました。それから、HKT48さんなど秋元康さんのグループのオーディションをいくつか受けたものの、落ち続けて落ち込んでいた時に、地元の山口県も含まれたSTU48というアイドルグループができると知って、絶対にここに入りたいと思ったんです。7つの県を拠点にしたご当地グループというのがとても面白いと思いましたし、何より地元にも恩返しができるんじゃないかなと思い、運命的なものも感じて受けたSTU48のオーディションで合格して、私のアイドル活動はスタートしました。
――でも、7年半の間には、コロナで思うように活動できない期間もありましたよね?
岩田 私がアイドルになってやりたかったことは、ファンの方と近くで会って握手をしてお話をして、感謝の気持ちを直接伝えたり、ファンの方達には声を出して応援しながらパフォーマンスを楽しんでもらうことだったりしたので、改めて振り返ってみても、コロナ期間は本当に辛かったです。でも、私が卒業する時には、ファンの皆さんが全力で声を出して応援できるようになっていましたし、ありがとうという気持ちも近くで直接伝えることができたので、楽しい卒業コンサートができて本当に良かったです。
――今、卒業コンサートのお話が出ましたが、卒業を決意したのは、いつ頃だったのでしょうか?
岩田 卒業を意識するようになったのは20歳になってからです。やっぱり大人になったということもありますし、振り返って考えた時に、アイドル活動としては満足できると思えたのと、STU48に私が残せるものはもうこれ以上ないのかもなと思ったので、STU48の岩田陽菜としての人生ではなくて、岩田陽菜としての人生を大切に頑張って歩んでいきたいなと思うようになったことがきっかけです。
――その時にはもう卒業後の活動のイメージもされていたのですか?
岩田 そうですね。東京に出て、演技や色んなことにチャレンジして活動していきたいなと思うようになりました。もちろん、STU48にいても色々なことに挑戦できたとは思うんですけど、やっぱり「アイドル」という肩書が一番についてくると思ったので、そんなアイドルグループから飛び出して、1人の岩田陽菜として成長していきたいと考えていました。
――振り返ることが多い1年だったとも思いますが、改めて、STU48での活動期間は岩田さんにとってどんな時間でしたか?
岩田 14歳でSTU48に入ってから21歳までのこの7年半、もちろん大変だったと思うこともたくさんありましたけど、めちゃめちゃ楽しかったなと思っています。ファンの皆さんと一緒に歩んできた7年半でもあったので、楽しさも大変さも全部ひっくるめて、アイドルになって本当に良かったなと改めて思っています。