3B junior、はちみつロケット、Awww!、それぞれのグループで感じたこと

――2015年に入ると3B juniorでの活動が本格化します。アイドル活動1年目を振り返っていかがですか?

播磨 定例公演をやっていた西武園ゆうえんちの印象が強いです。遊園地でライブができるんだということにも驚きましたし、初めての経験もたくさんありました。3B juniorは自分たちでやることが多くて、楽屋の掃除をしたり、新聞係とかもあって、今日の出来事を書くこともありました。右も左もわからない中、年上メンバーの背中を見ながら、必死についていこうとしたのを覚えています。

――学校生活とは全く違う経験ですよね。

播磨 自分の知らない世界で新鮮で楽しかったですし、何かあっても絶対に私は大丈夫って思いながら根拠のない自信を持っていました。無茶振りも楽しめていて、アイドルってそういうもんなんだと、なんでも受け入れていました。

――はちロケとしてはいかがでしたか?

播磨 はちロケは3B juniorの中でも、最初の方からできていたグループで、衣装を作っていただくのも早かったり、振り返ると恵まれている環境だったと思います。

――2015年12月に「3B junior季節はずれのX’mas party『のんびりサンタさんがやってきた』」が開催されました。ここでははちロケの新曲「WARE-WARE-WA」を披露されました。どんな公演でしたか?

播磨 「WARE-WARE-WA」の初披露は、はっきりと覚えています。この公演は、3B juniorの他のユニットも新曲を披露した日で、ロッカジャポニカは「ワールドピース」、マジェスティックセブンは「未知とのSo Good!!」、奥澤村は「STAND UP!!!」をパフォーマンスしました。どのユニットの楽曲も盛り上がるジャンルだったのですが、はちロケの「WARE-WARE-WA」はどちらかというと初見で騒ぐ楽曲ではなかったので、ファンの方たち、大丈夫かなという不安を感じましたし、ライブはファンの皆さんと一緒に作るものということをあらためて実感しました。

――2016年は「はちみつロケット50本勝負ライブ」がありました。3B juniorとしては浅草公会堂での「3B junior 浅草大歌謡ショー〜2016年リベンジの夏〜」や「真冬の大決闘〜クリスマスなんて大っキライ!!〜」、そしてロッカジャポニカの武者修行が発表されました。まずは50本勝負はいかがでしたか?

播磨 タイトルのとおり、ライブを50公演やるので、もちろん大変さはありました。全公演、違う内容にする必要があるのでライブだけでなく寸劇をやってみたり、1日に何公演もやった時もありました。たくさんの公演を実現させることへの大変さはありましたが、みんなで公演を作っていくことは楽しかったです。最後の50本目をファンの皆さんと一緒に喜べたことは今でもすごく覚えています。

――ちなみに2016年の12月にロッカジャポニカが武者修行に出て新体制の3B juniorになることはどのように捉えていましたか?

播磨 ロッカジャポニカのメンバーはデビュー組ではあったので、頭では理解していたものの、ずっと一緒にやってきたメンバーがいなくなることは寂しかったです。

――2017年は、4月にEX THEATER ROPPONGI「3B junior 春の全力レビュー 2017 遥かなるアポロンの彼方へ」があり、定例公演、アイドルフェスにも多数出演されています。12月にはサンシャインシティ噴水広場のイベントにて、はちロケのメジャーデビューが発表、3B juniorからも離れることになりました。メジャーデビューが発表された時はいかがでしたか?

播磨 当時のアイドルの多くは、メジャーデビューを目標にしていたし、自分たちのCDが全国に届くことは夢の一つだったと思います。メジャーデビューって言われたときはとても嬉しかったのですが、その重みや意味をちゃんと理解できていなかったと思います。印象的だったのは、記者会見で撮影されながら質問に答えているうちに、少しずつ実感が湧いてきました。

――2018年3月にメジャーデビューして、メディアに出演したり、リリースイベントを重ねていく中で、印象的だったことはありますか?

播磨 いろんなエリアでリリイベができて嬉しかったことを覚えています。この時に初めてテレビで楽曲を披露させてもらったり、各地のラジオにも出演させていただきました。個人的には特にラジオの出演は印象的でした。ラジオは2〜3名で出演することが多かったので、7人でのインタビューと違い、しっかりと時間をかけて話せたり、言葉で伝えることも楽しかったです。ラジオの楽しさを知ったことで、のちの「オレたちゴチャ・まぜっ!〜集まれヤンヤン〜」(MBSラジオ)にも繋がっていったと思います。

――一方で、2018年11月に3B juniorは活動を終了します。この時はどのように受け止めましたか?

播磨 ラストライブのレッスンで久しぶりに再会できたことは嬉しかったですが、はちロケは出て行った立場でしたし、3B juniorの活動終了で芸能から引退するメンバーもいたり、アメフラっシとして活動を開始するメンバーもいて。いろんな思いがある中、自分は活動を続けられる側だったので、どう接したらいいんだろうと思うところはありました。あとは武者修行に出る時に、はちロケとして大きくなってまた3B juniorに戻ってくると言われていたので、自分たちの原点というか戻る場所がなくなったんだと思って、すごく寂しかったです。

――2019年に入ると、4月にはちロケとしてZeppTOKYOでワンマンを開催、5月に体制変更があり、2020年3月に解散発表がありました。そして6月にはAwww!としての活動も始まりました。

播磨 ZeppTOKYOでワンマンは印象的で、これからもっといろんなことを目指していけるのかなと思っていました。でも絶対的なセンターでリーダーだったかのんちゃん(雨宮かのん)の卒業があって、そこからはすごく不安でした。振り返るとかのんちゃんに相当な負担をかけていたんだと思いますが、リーダーの一声でまとまるグループだったので、今後、グループとしてどうしていけばよいのか、自分たちでできることは何かを常に考えていました。コロナ禍もあり、はちロケの解散ライブやAwww!の活動もなかなか思うように進めることができず、難しい時期でした。

――Awww!結成のタイミングで芸名も変えられましたが、どのような心境だったのでしょうか?

播磨 Awww!からの活動は、はちロケの延長線にしたくなかったのが理由です。Awww!には、はちロケのメンバーもいましたが、そうじゃないメンバーもいて。楽曲も違うし、別のグループなので、しっかりと線を引きたかったです。あとは自己紹介がやりやすい名前が良かったのもありました。