3B junior、ロッカジャポニカとしての活動の振り返り

――2015年に入ると3B junior、ロッカジャポニカとしての活動が本格化します。アイドル1年目はいかがでしたか?

内藤 1年目は365日、ずっとロッカジャポニカのことを考えていました。1年目から3B juniorとしてツアーを回らせていただいて。公演によっては参加しないユニットなどもある中、ロッカジャポニカはすべての公演に出演させていただきました。ユニット同士での対決企画もたくさんあって、感情が大きく揺さぶられる日々でした。勝負に勝ったとしても、3B juniorとしては仲間なので、常に複雑な気持ちがありました。本当は仲が良くても対決企画がある時は、楽屋もピリピリした空気もありました。初めての経験もたくさんあって、ユニット同士の対決企画もあったので、ずっとロッカジャポニカのことを考えていた1年でした。

――企画とはいえ、複雑な感情を持っての活動だったんですね。

内藤 喜んだり悲しんだり、感情の起伏が激しかったです。みんな子どもだったので、今なら素直に「おめでとう」って言い合えることでも、当時は折り合いをつけることが難しかったです。

――2016年に入ると、ロッカジャポニカは「ワールドピース」でメジャーデビュー。7月には2ndシングル「教歌SHOCK!」、11月には3rdシングル「だけどユメ見る」をリリース、3rdツアーでは「Road to 1000」と題して1000人を集客を目指して開催。そして年末には3B juniorから離れることになりました。

内藤 憧れていたアイドルになれて、メジャーデビューまでさせていただきました。ツアーもたくさん回れて、初めてのことがたくさん経験できた年でした。3B juniorの時は、人数も多いのでマイクを持たない曲も多かったですし、大人数の中の一人でしたが、ロッカジャポニカは5人組だったので、歌も踊りも一つ一つの重みが違いました。5人でパフォーマンスを作っていくことが楽しかったし、ももクロさんに少しだけ近づけているのかもと思ったり。あとは自分たちのCDがレコード店に置かれているのを見て、アイドルになれたんだと実感したのを覚えています。

――デビュー後もリリースにツアーにフル回転でしたね。

内藤 ロッカジャポニカはシングルでも7曲入りとかだったので、レコーディングと振り入れも短期間でたくさんやらないといけなくて。本当に時間が無い時は、お披露目当日の朝に振り入れしたこともありました。すべてが新鮮だったし、一緒に頑張ってきた仲間と一つずつ夢を叶えられるキラキラした1年でした。

――2016年末にロッカジャポニカは武者修行に出ることになり、3B juniorの活動からは離れることになりました。同じ3B junior出身のLumiUnionの播磨さんやAMEFURASSHIのインタビューでは、武者修行に行くロッカジャポニカがどのように見えていたかを伺いました。逆に内藤さんは3B juniorを離れる立場でしたが、どのように感じていましたか?

内藤 3B juniorはいつかはユニットごとにデビューして、グループを離れていくのかなと思っていましたが、自分たちが最初に離れることになったので寂しい気持ちがありました。3B juniorのメンバーは真正面からぶつかっていく性格の子が多かったので、武者修行が決まったときには、送り出してもらうと言うより、背中を叩いてもらって奮い立たせてもらったような感覚でした。絶対に大きくなって帰ってきたかったし、3B juniorを背負っていくんだという思いで離れたのを覚えています。

――2017年は「Road to 1000」のリベンジ「4th TOUR 〜Revenge for 1000〜」を開催し見事1000名の集客に成功、1stアルバム「Magical View」のリリース、そして日本青年館で「キセキとキセキの物語」公演を開催されました。この時期はどのように振り返りますか?

内藤 新しいことへのチャレンジもありつつ、リリースやツアーのサイクルは少しずつ出来上がってきていました。私たちメンバーは常に次の予定は知らされていなくて、ワンマンやツアーファイナルなどでサプライズで発表されていました。次に何が起こるかわからない状態だったので、毎回、大きなサプライズを作っていただけるように、全力で取り組んでいました。この頃からロッカジャポニカになってからの私たちを好きになってくださった方々も増えてきていて、ロッカジャポニカのライブが形になってきた時期でもありました。

――初のホール公演となった日本青年館はいかがでしたか?

内藤 3B juniorとしても立たせていただいたステージに、ロッカジャポニカとして戻って来れたことは嬉しかったですが、一方でプレッシャーも大きかったです。ホールライブなので、セットがあったり、曲間のつなぎがあったり、バックダンサーの方に入っていただいたり、ホールならではの演出にチャレンジできて嬉しい経験が増えました。

――衣装も印象的でしたね。

内藤 これまでのロッカジャポニカの衣装とは違って、ふわふわのカラフルなスカートに、髪飾りも用意してもらって、キラキラした可愛いアイドルを詰め込んでいただきました。

――2018年は4thシングル&5thシングルリリース、ツアーの開催など精力的な活動もありつつ、3B juniorの解散がありました。そして2019年4月にロッカジャポニカ活動終了、7月にB.O.L.T結成。グループの解散や活動開始があったタイミングでしたが、この時期はどんな思いで活動されていましたか?

内藤 ロッカジャポニカとしてのラストライブとなった「ROCK A JAPONICA FRONTIER LIVE 中野サンプラザ 平成最後のアイドルコンサート」は、グループ史上最大キャパでのライブでした。日本青年館やRevenge for 1000のように、中野サンプラザも成功させて次のステージを目指そうと思っていたので、グループが終わることは悲しかったです。でもその時は10代後半で、高校を卒業する年代でした。誰もが進路や将来を考える時期なので、みにちあ☆ベアーズや3B juniorの活動終了の時とは違って、この先、自分もどうしていきたいのかを本気で考えないといけないと感じていました。

――そしていろんな選択肢の中で、内藤さんはアイドルを続ける道を選ばれた。

内藤 ロッカジャポニカは3人がアイドルを続ける選択をして、2人は違う道を選びました。アイドルを続けたいという思いを尊重していただき、マネージャーさんやレコード会社の皆さんが活動を続けられる形を作っていただき、本当に感謝しています。でもロッカジャポニカの5人ならどこまでもいけると思って活動していたので、3人になることへの不安はすごく大きかったです。