言葉の力を信じる戯曲に「他の誰かにやられたくない」

――『蛙昇天』は、米ソ冷戦が激化していた時代に、シベリア抑留者の帰還をめぐって日本社会を揺るがした実際の事件を題材に、木下順二が1951年に書き下ろした戯曲です。脚本を読んだ時はどんな印象を持ちましたか。

中山優馬(以下、中山) これはやりたい、他の誰かにやられたくないと思いました。僕は、人間が抱えている業のようなものを表現する場所が演劇だと思っているんです。それを表現するために、さまざまな事件を題材にするなど、いろんな手法があります。この作品は、言葉の力を信じるというか、言葉の有効性を最大限に生かしながら、深いところに切り込んでいくんです。その言葉が持つ魅力が、とても美しいんですよね。人間とはどういう生き物なのか、人間が寄り集まった時に生まれるムーブメントや暴力性のようなものはどんなものなのか。そうした本質的なところは、言語化するのが難しいと思うんです。それを登場人物の関係性とカエルの存在で伝えていく、見事な戯曲だと思います。

――75年前の戯曲とは思えないほど、古さをまったく感じなかったのですが、いかがですか。

中山 古さは感じないです。ただ、言葉の意味合いだったり、現代ではあまり使わない節回しだったりはあります。あと、戦後に書かれた作品で、戦争がテーマの一部になっているので、現代の政治思想はこの戯曲より先に進んでいます。当時のあらゆる政治思想が出てくるんですけど、戦争の影響で民主化が進んでいく、その時代のうねりの中で書かれているんです。だから言葉は変わっていなくても、現在の民主主義のあり方、つまり民主化された人間たち=カエルたちの生活と、戯曲の中で描かれる「民主化しなきゃいけない」という時代とでは、少し違いがあります。

――社会の分断や対立が目立つ今の世界情勢とも重なりますが、このタイミングで上演することをどう受け止めていますか。

中山 もちろん今やるべき戯曲だと思いますし、だからこそKAAT神奈川芸術劇場<ホール>という素敵な劇場で上演するんでしょうけど、今やるべきだということ自体が、とても悲しいことじゃないですか。そこが皮肉ですよね。ここで描かれているのはカエルですけど、人間は同じような歴史を繰り返していて、皮肉な生き物だなと思います。

――カエルらしさが作品の面白さを左右しそうですね。カエルの動きもふんだんに取り入れているとお聞きしました。

中山 体を人間的ではない形に制限しながら、これだけセリフ量の多い戯曲を前に進めていくのは、一般的な舞台とは別のことをやっている感覚です。体に言うことを聞かせることと、ストーリーを進めることを同時に行わなければいけないので、難易度の高い表現だと思います。